アニメの目

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2009春期
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東のエデン 第11話 「さらにつづく東」

極上のエンタテインメントは直列ニートの奇跡で幕を閉じました。

ミサイル攻撃をしようとしているやつがいる。そんなの認められない。ニートと一緒に住民の避難をしよう。そういう当たり前のことをしたんだけど、「何でミサイル攻撃を予知できたのか」っていう疑問が、どさくさに紛れて一部のニートが盗みを働いた事実と相乗して、救った人々から非難を浴びる結果に。2万人のニートは自分に協力してくれただけだから何とか助けてあげたい。で、ドバイへ。罪は全部自分がかぶって、それから記憶を消す。

要はそういうことだったようです。

シリーズを通して肯定的に描かれたニートですが、肯定してるのはそのポテンシャルのみ。板津にしてもね。最後に奇跡を演出してかっこよかったんですけど、でもニートとしての振る舞いを肯定しているわけではないと思うんです。

つまりポテンシャルを肯定するということは、じゃあどうしてその力を発揮しないんだっていうことになります。「やればできる」としてもやらなければできないのと同じ。

ニートを肯定的に描き続け、意外とすごいんだぜっていう風に見せられていたのは、その誰もが知っている「ニートってポテンシャルはすごいけど何もしない」っていう事実を再認識させるためでしょう。

最後、エデンサイトに対ミサイル案を書き込みまくれ! って要求するのに皆を屋上に集めたのは「もっと日の当たる場所に出て来いよ!」っていうメッセージじゃないでしょうかね。


そんなこんなで結局またひとりで全部背負い込んじゃった滝沢。携帯の残金もすっからかん。でも、この滝沢が使った100億がちっとも日本を変えることに使われていないってのは驚きです。常に他のセレソンの行動に対してアクションを起こしていた滝沢は、自分から何かのためにお金を使ったことはないんです。

意外ですよね。だって、さぁ日本を変えよう! ってアニメの主人公が保守派なんですから。でも、滝沢がセレソン内の保守派であったことが『東のエデン』の本質じゃないでしょうか。

詰まる所、100億円の有無じゃなくて気持ちの問題でしょ? いや、言葉が軽すぎだ。何を考えて何をなすのか。そこにお金があるかないかは大した問題じゃない。そういうことだと思います。

結局滝沢は自分の描く理想の日本のためにお金を使うことをしなかったけど、でもミサイルに立ち向かったり、必死に戦ったことが重要かな。結果論だけど、その中でニートのポテンシャルを引き出せたしさ。

それはミサイルなんかが落ちなくても日本は変わっていけるんだっていう暗示ですよね。必要なのは外的な刺激・スペクタクルではないんです。それを強く実感しました。


そうそう、さっきの感想で「滝沢と咲はそこそこ深い絆で結ばれているようで、実は乗り物ひとつで結ばれたり切られたりするようなアンバランスさも兼ね備えてる」って書きましたが、今回閉まりゆくエレベータのドアを開け、咲が滝沢を呼びかけたのを見ると、その辺乗り越えたのかなとか思ったり。すっと滝沢が伸ばした咲の手を取って駆け出したのを見ると、やつは終始紳士だったなと実感したり。

とにかくそんなこんなでテレビシリーズは終了です。映画、行こう。それまでにもう一度考えをまとめておきたいですが。

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