アニメの目

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ホッタラケの島 ~遥と魔法の鏡~ 感想

面白かったです。3DCGは綺麗だったし、コットンはかわいかったし。ホッタラケ(=ほったらかしにされたもの)だけでこれだけの物語を紡ぎ出せるのかと感服。ホッタラケ恐るべし。

やっぱり技術的な話はしたい。Pixar映画をガッツリ観たことはないんだけど、確かに既存の3DCGのイメージを破る物はあった。やっぱり絵なのかな。イメージとしては『東のエデン』に近い背景画(ベタ塗りでない、エフェクト・フィルタ処理っぽくない)だったんですが、それが3Dに温度を与えていたのかな。

さてと、まあ技術的なことは完全に素人なのでこの辺で止めときます。

スタッフの話。ほとんど知らない名前ばかりが並んでいて困ったので、帰ってから調べてみました。佐藤信介監督は『砂時計』を観たことがあります。実写映画の観方が分かっていなかった時分の話で、ほぼ付き合いで観たようなものだったんですけど、意外と分かりやすい映画だったかな。って言うのも作りが丁寧だったから。僕の実写映画に対する認識を少なからず変えたかもしれない映画です。

脚本の安達寛高って乙一の別名らしいですね。Wikipediaさん曰く。やっぱり結構厚い層で臨んだ映画だったと理解しました。ついでに乙一の奥さんが押井守の娘さんという無駄知識も得ました。

さて、そろそろストーリーの話をします。

かつてないほど「感じたアニメーション」でした。それは上で書いたように作り込まれた技術的な要素とシナリオの要素との上に成立するものです。じゃあシナリオ上でどこに何を感じたのか。

この映画、突き詰めればホッタラケっていうキーワードを軸に自分を見つめ直す物語です。遥がホッタラケの島に行くきっかけになり、それをめぐって男爵と壮絶な戦いを繰り広げたお母さんの手鏡なんですが、あれも結局はその「自分を顧みる」というテーマを象徴しているアイテムかと。

で、そういうノスタルジックな話は往々にして「感じる」ものが多いんだけど、それだけじゃなくて細部まで丁寧に作られていたのが魅力だと思います。劇場アニメの強みでもあるけど、本当に話が良く出来ている。

たとえばコットン初登場シーン。コットンは鏡を体に埋め込まれたことで自分で動いたり喋ったりすることができるんですよね。でも人形劇としてステージに立ったとき上から糸で操られていた。あれは遥にホッタラケにされて島にやってきて、それで島の一部として埋め込まれてしまったことの表現じゃないかな。

遥は半ば強引にコットンを連れて行くんだけど、あそこで糸をはずして持ち去ることで遥のホッタラケに対する意識(島の美しさに触れた時点で遥のホッタラケに対する意識は随分変わっていたと思います)を表現することもできるし、コットンが救われたということを強調できる。

それから遥と共に歩んだテオの成長も豊かに描かれていましたね。大した魔法も使えなくて自分に自信がもてないいじめられっ子のテオが、最終的には飛行機で空を飛んで遥を助けるために大奮闘したわけですが、彼の成長についてすごい気に入ってるシーンがあります。

それは男爵の船に襲われて飛行機が墜落してトロッコのレールに乗っかってしまったところ。このままではトロッコと正面衝突してしまう! ってときにテオはペダルを逆にこいでゴムを逆にねじればプロペラがブレーキになるという応用をやってのけます。

テオは「自分達は人間と違って何かを生み出すことが出来ない」「だからこうやって人間の使わなくなったものを利用している」と言っていたけど、テオは知らされていない使い方を自ら発明したんですよね。

そういう所でテオの変化を確実に描いていったり、シナリオの完成度はやっぱり高いと思います。

でもま、それは細部の話です。中心にあるのは上でも書いているけど自分を見つめ直すこと。

ホッタラケってやっぱり面白いものだと思う。間違いなく誰でも経験していること。ほんとに、いつの間にかなくなりますよね。やっぱり狐が持っていってるのかな。

でも事実としてその大半は今となってはもう「どうでも良いもの」なんですけどね。正直、子供の頃に大事にしてたおもちゃとか、意味もなく執着していた小石とか、そういうのはぶっちゃけもういらない。狐がそれを使ってくれているのならそれで良いような気がします。ま、おもちゃには申し訳ないけど、それは今と昔では価値が違うから。

でも絶対に「どうでも良くないもの」も無くしてるんです。それが思い出

思い出っていうのはいつまでたっても変わらず価値を持ち続けるもの。それなのに人は思い出すらホッタラケにしてしまう。

「自分を見つめ直す」というのを言い直しましょう。この映画は「かつての自分(=思い出)を取り戻すために現在の自分の全てを賭けて奮闘した女の子の物語」です。

一見余分そうに見えるバトル要素(地下でぬいぐるみの怪獣と戦って手鏡を取り返す、男爵と激しくやり合う、等)は遥の覚悟の程を物語るエピソードだと思うわけですよ。

遥はとにかくがむしゃらでした。僕が「どうでも良い」と言ったおもちゃ(みたいなもの)であるぬいぐるみのコットンを取り返すべく命がけで戦った。命が軽いんじゃなくて、コットンが重いんですよね。

ま、男爵が鏡を集めて世界の危機的な展開は盛り上げすぎのような気もしますが。ただしそれは遥にとっての話。テオにとって「男爵=世界の敵」という構図は必要だったと思います。

男爵がみんなにとって悪でなければテオが認められることもなかったわけじゃないですか。最後には遥にもらったキーホルダーが勲章みたいに輝いていたけど、テオはこの一件でヒーローになったわけですよね。ヒーローの敵なのであれば悪ければ悪いほど良い。

だからあの展開もただのご都合主義ではなかったのだと、僕は思っています。

と、そんな感じでビジュアル・シナリオの両面にノイズのないこの素晴らしい映像作品なわけですが、如何せんお客さんの入りが寂しすぎるような気がします。今日は気分転換にいつも行ってる映画館密集地とは別の映画館にいったんですけど、平日午前中っていうのもあって本当に寂しすぎるくらいの人しか入ってませんでした。決して流行ってない映画館じゃないと思うんですけどね……

ということでネタバレ無しの感想(むしろ紹介文)のエントリを書こうかと思っています。それなりに観る所を観て、自分なりに感じて、そこから色々考えるとこれだけの文章になるような濃い作品なんです。

「物は大切にね」なんて軽い物ではない。いや、基本はそのメッセージなんですけど、そこから何を考えるのかというのになると実に深い。無駄に難しい概念を含んでいないだけに面白い。

と、そんな風に熱く語れるような映画なんですよっていうエントリを書くかもしれないです。

ところでこの文章を全部読んでくれる人はいるんだろうか……

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