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2009夏期
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CANAAN 第11話 「彼女添」

感覚の元は刺激なのだからどんな感覚も少なからず身体に傷を残す。その傷が精神まで届いたときに愛とか憎しみとかいう特別な感情が生まれるのだから、感情は必ず痛みを伴う。思ったことを一言でまとめるとこういうことなのかな。

愛でリャンを戻してみせるとカミングズ。愛を以ってリャンの前に立ち、散々痛めつけられても「一緒に戻りましょう」と訴え続ける。その姿を見たアルファルドの解釈「愛とは痛めつけられることだ」というのはいささか極論が過ぎるようだけど、あながち的外れなことでもないんですよね。

だって感情は常に痛みを伴うのだから。

自分を殺す刺激と分かっていながらハッコーに愛の言葉を求めたサンタナも、ハッコーに撃たれながらも前進し続けたみのさんも、そういうところに繋がってるんだと思うし。

リャンが強制的に共感覚を身につける薬を飲んだときのあの惨状を見ると、やっぱりカナンは特別なんだなと思います。あらゆる刺激があらゆる感覚として心身を蝕んでいく中でリャンは壊れました。ま、彼女は元からかなり壊れてたけど。

とするとカナンには綺麗なものも醜いものも、全部を見てそれでちゃんと立ってられる強さがあるということですね。

対してアルファルドにはおよそ感覚と呼べそうなものがない。リャンとカミングズに背を向けて「愛とはやっかいなものだな」の一言で済ませてしまうくらいだから、ドライにドライを重ねたドライです。

なぜ彼女が不感になったのかは分からないけど、シャムを殺した日から新しい刺激を得ることができないのだから、それは確かに時間が止まったも同然なんじゃないかな。

過去に縛られているというのであれば、彼女の不感こそがその鎖なんじゃないかということです。人ってどんな種類の刺激であれそれを受容・処理することで変わっていくはずだから、刺激が得られないということは変化のチャンスがないということ。

アルファルドの言う「かつての自分」に戻れなければいつまで経っても変われない。その戻る鍵が感覚のあった時代の自分と関わりを持つカナンということかな。

この『CANAAN』はテロとか政治とかそういうスケールで物語を展開する中で個人の感覚と感情に焦点を合わせた色々考えるところの多い話なんですが、これは他人事じゃないんですよね。

あ、いや、他人事ではある。みのさんが言っていた「こんな夕日、日本じゃ見られないな」という言葉が他人事である印だけど、日本では見られないものであれば見なくても良いのかと言われればそうではないですよね。

見たくないものも見る。感じる。考える。それをして初めて『CANAAN』を「見た」ことになるのかな、と残り2話にして肝に銘じてみました。

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◎CANAAN第11話「彼女添」 from ぺろぺろキャンディー 2009-11-08

ナツメはユンユンとマリアを殺そうとするとアルファルドがきてカナンのところへいけという。氷付けにされてたのは、カナンにそっくりなボナーだった。ボナーになると髪の毛が白くなるらしい。そういえば、ハッコーさんの髪も白くなってたな。そして、ナツメは去っていく。...

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