アニメの目

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2009夏期
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『CANAAN』の再考:(ロボ)アニメへのアンチテーゼ

『CANAAN』内、ウーアウイルスによって引き起こされた身体的変化について考えたこと。

ロボアニメというのはだいたい主人公が巨大ロボに搭乗することで世界が変わるもの。ロボとは自己に変化をもたらすものであり、自己のメタファーであり、世界に向けて自分からはたらきかけるツールであるものです。

『ガンダム』から『マクロス』まで。『ファフナー』から『エウレカ』まで。『エヴァンゲリオン』から『グレンラガン』まで。当然ディテールを考えればそれぞれが違うロボを描いているんだけど、全てに共通するのはロボがなければ始まらなかったということ。ロボに乗ることで主人公の周りの世界が変わってるんですよね。

記憶に新しい『マクロスF』ではヴァルキリーというロボットが主人公を宇宙に連れ出す躍進に一役買っていました。つまり、人工の空での息苦しい「飛行(≒非行)」から開放し、他者との相互理解という次の次元での「戦闘」の場を与えたということ。

『鉄のラインバレル』はロボットによる主人公の内外の変化がより露骨でしたね。マキナと呼ばれる巨大ロボを手に入れてからの主人公の調子の乗りっぷりは異常で、それでも散々失敗しながら少しずつ成長していく姿を描いていました。

例を挙げるとキリがないんですが、とにかく言いたいことはロボという新しい力を得たことで主人公自身と主人公を取り巻く世界が大きく変化して、そこから物語が始まるということ。

さて、そろそろ『CANAAN』に戻ります。どうして『CANAAN』についてものを書いているのに、これだけ巨大ロボについて語ったのかというと、ウーアウイルスで引き起こされる身体変化も新たに得られる力であり、それによって自分の内外が変化しているから。

要するに巨大ロボもウーアウイルスも同じなんじゃないかとうこと。その過程、表面的な結果は全然違っても、今までの自分にはできなかったことができるようになり、それと連動して周囲の世界も変化していくという点では一緒。

でも『CANAAN』でウーアウイルスによって身体に変化を生じた人々は誰も前向きに進めていないんですよね。ロボアニメでロボットを手に入れて違う世界を体感するような感動、新鮮さが一切なくて、カナンも含めて全員が泥沼の中でした。

結果としてウーアの花を咲かせたドナーたちのほとんどが花を散らせていきました。ウーアの実験成功被験者(身体変化の起こった者)の中で最終的に泥沼から這い出せたのはたった二人、カナンとユンユンだけ。

じゃあこの二人はどうやって進化したのか。それを考えると、ウーアで得た能力なんて全く使わずに前に進んでいるんですよね。そもそもユンユンの身体変化は「盲腸が増える」とかなんとかで、まず能力ですらないと思うんだけど、彼女の成長は物語の中で顕著に描かれていました。

能力がないから使い走りとしてリャンに使われて、危険なこと嫌なことでも従うしかなかったユンユンが、最後には友達のために体を張れる存在になったというのは大きいと思います。

カナンにいたっては「共感覚」に頼ることで真実をありのままに見れていないことに気付き、最終的にはちゃんと自分の目で見て感じるようになったんだから、これもすごい変化。

で、注目するべきはこのいずれの前進もウーアとは関係がないということ。つまり、二人はウーアの能力なんてものがなくても自分の内外を変化させることができたということ。

ロボアニメに話を置き換えると「ロボットなんかなくても人は変われる」ってこと。むしろ「ロボットに頼るようでは本当に変わっているとは言えず、自身を変化させるには自身の力で何とかするしかない」くらいの、強い言葉にも感じます。

変形ロボも合体ロボも新しい力、新しい世界の象徴です。『CANAAN』はそれら「ロボットによる変化」に真っ向から対立しているように感じました。

さらに言えばファンタジー、伝奇の「魔法」「異能」というのもロボと共通する部分が多く、その意味では『CANAAN』のストーリー原案を務めた奈須きのこさんの十八番である伝奇小説とも対立していることになります。

そういう意味でも特殊ですよね。奈須さんっぽくない話。アニメのシナリオは構成の岡田麿里さんがほぼゼロからアニメ用に作り直したという話も耳にしたけど、その辺が影響しているのかもしれない。

逆に広義の「ロボ要素」を含ませずに登場人物の変化、世界の変化を描いたアニメには『とらドラ!』なんかがあります。自分で悩んで自分の力で問題を打開していく高須竜児の姿が強烈な印象でしたが、彼は普通の高校生が当然持っているものだけで戦い抜いていました。

だから『CANAAN』はむしろ『とらドラ!』寄り(なんて言い方をしたら語弊があるけど)なんですよね。そこにあえて「ロボ要素」を取り入れることで「ロボ要素」アニメへのアンチテーゼとしたのではないかと、そんなことを考えました。

あ、勘違いがあると困るので言っておきますが、僕はロボアニメも大好きです。ロボでしか出せない快感、高揚感は最高です。でも『CANAAN』も大好きで、『CANAAN』からロボアニメへのアプローチがあるように感じたので文章にしてみました。

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