アニメの目

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2009秋期
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戦う司書 第11話 「弱者と迷宮と女王の指し手」

幼い日に母親を失って以来モッカニアの時間は止まってしまったんですね。ずっと一人で出口の見えない迷宮を歩き続けている彼だからこそ、ウィンケニーは死んだときのままの母親をモッカニアに寄こした。

印象的なのを何点か。

まず、記憶をすり込まれてモッカニアの母親の偽者として図書館に連れてこられた女性と、モッカニアの関係。モッカニアはずっと彼女が本当の母親でないことを知っていたけど、その上で親子を演じていました。彼女を守るために「最強の武装司書」に反旗を翻し、命がけの勝負を挑みました。

人は死んだら「本」という形の記録になる。そうであれば生きている人を形作っているのは記憶という記録。とするとモッカニアの母であるという記憶をもったあの女性は紛れもなくモッカニアの母親であったと言えるはず。

でも、モッカニアの記憶の中の母親は既に死んでいるから、あの女性とモッカニアの間の関係は本物の母子の関係でなく、偽りの関係だったわけです。母子関係が双方向的に結ばれていない中途半端で嘘の関係。

そこで本物の母親の「本」に触れて、自分がモッカニアの母でないことを知ります。ここで記録の上でも女性とモッカニアを繋ぐものはなくなるはずでした。でも、お互いがお互いを思いやる関係が崩れることはなかった。

同じようなことは以前にもあって、ヴォルケンが図書館を去ったときにミレポックが自分の記憶を消しながら、ヴォルケンが使用していたハチミツを恋しく思っていましたが、今回の二人もこれに似ています。

つまり、記録が全てであるはずの世界で、記憶を超越して人間関係が作られているということ。人と人の繋がりって、意外とそういうものかもしれないと感じました。

さて次の話。前回の感想でも軽く触れたけど、何かを為すためだけに生きている人間について。

女王の指し手たるウィンケニーは、強力な武装司書になると予想されるモッカニアを攻略するためだけに生きていました。モッカニアの故郷を訪ね、モッカニアの考えをトレースし、全てをモッカニアに費やした生涯だったと言えるんじゃないでしょうか。

じゃあ、モッカニアは何を為すために生きてきたのか。母親に楽をさせてやりたいという思いで武装司書を目指すも、その途中で母親は死んでしまいます。それ以降、モッカニアは何を為すために武装司書となり、武装司書を続けたのか。

たぶん、為すべきことはもう何もなかったんだと思います。少なくともモッカニア自身はそう考えていたはず。何を為せばいいのかも分からずに、ただただ武装司書として過ごすさまは、まさしく迷宮の迷子。進退ままならぬという状況。

そんな彼が最後に為したのは、母親が誇れる息子として戦うこと。蟻も狐も熊も平等の生命として扱うこと。

それにしても毎回ほんとうに人が死ぬ話ですが、きっと為すべきことを為して物語が完成した人がみんな完結した「本」となっているからでしょう。モッカニアの本には、母親との楽しい時間と、その後に続く長い長い苦悩の時間、最後には偽の母親とのことやハミュッツとの勝負があり、それで完結。たぶん、これで完成した物語。

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