アニメの目

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『生徒会の一存』と『化物語』にみるハーレム主人公像

さて、「意外と面白い」だの「クソつまらん」だの最初2, 3話のあいだは色々と話題が飛び交った『生徒会の一存』でしたが、終盤はかなり評価も安定していたんじゃないかと思います。とは言っても、『一存』に関しては他の感想ブログで文章を読むことがほとんどなかったから、ただ単に飽きられただけ、話題性が薄れただけなのかもしれませんが。

ただ、僕個人の感想では、1話から12話まで一律の好印象だったんですよ。世間的に1話が良くて2話は駄目みたいなんですが、そこに違いがるようには思えませんでした。

だって彼らはいつも同じような会話をしているだけだもの。

――とか書くとなんだか『一存』のファンに噛みつかれそう。いや、もちろん分かっています。彼らが毎回違う会話をしていることは。ただ、ここはあえてこう書きました。理由は後で書きますので、とりあえずスルーしてください。

さて、タイトルからも分かってもらえるように、『生徒会の一存』と『化物語』についてあれこれ考えたことをいろいろ書きます。簡単に言うと、『一存』も『化物語』も毎回毎回安定して面白かったんです。個人的には。

共通項はハーレム(『化物語』の阿良々木暦は戦場ヶ原ひたぎという彼女がいるのだから杉崎鍵のいうハーレムとは違うのですが)なんですが、でもハーレムアニメなんて他にいくらでもあるわけです。でも、このふたつは群を抜いて安定した面白さがあるように感じました。それはなぜなのか。と、そういう話。

前置きが長いですね。大した中身でもないのにバランスが悪いなぁ。でも齟齬や語弊のないように書くとどうしても長くなってしまうものです。これは技術的な問題。精進します。

さて、本当に本題に入ります。『化物語』のテレビ放送最終話の星空を覚えている人は多いと思いますが、あれは点々と存在する星々を自分たちに喩えていました。バラバラに存在する星々を線で繋ぐことで星座が、ひいては物語(神話)が生まれるわけです。すなわち、個々がバラバラに存在していたのでは何も起きなかったけれど、人と人とが関わり合う(「ただそこにいるだけ」という関わり合いでも)ことで物語が生まれるということ。

常にその物語の中心にいたのが主人公である阿良々木暦です。阿良々木暦が落ちてくる戦場ヶ原ひたぎを抱き止め、さらに脅されながらも彼女の力になろうとし、そういう彼の行動が物語の中心にはあります。

さて杉崎鍵。彼も常に生徒会の中心に存在していました。その意味で言うと、中心にいることはハーレム主人公の最低条件のようです。ま、当然ですよね。ハーレムの定義から明らか、というやつです。

じゃあ彼らふたりのハーレムはどうして安定したのか。その答えは実に簡単。彼らはふたりとも物語の途中に変化しなかったから。主人公の成長を描くとか、主人公の挫折を描くとか、そういうのも大事だとは思うけど、『生徒会の一存』と『化物語』の両アニメではそういったものが全く描かれず、ただ中心にストイックな主人公をデンと置いていたわけです。

このふたつのアニメの共通点は、主人公の失敗・挫折・成長を物語から追い出してしまったこと。阿良々木暦は春休みに吸血鬼と何か事件があったらしい。杉崎鍵は中学から去年まで、ずっと悩み苦しむ時期を過ごしてきたらしい。そういうことは少し臭わせるだけに留め、主人公が完成したヒーローになってからの物語だけをカットしているわけです。

強いていうなら「変わらないことの美学」です。阿良々木暦と戦場ヶ原ひたぎはいつまでたっても同じ調子で会話をする。杉崎鍵と桜野くりむはいつまでたっても弄り貶されの関係であり続ける。それがアニメ全体の安定感を支えているんだと思います。

上で「いつも同じ会話をしている」と書いたのはそういうことです。たとえ違う話をしていても、いつも同じ話をしているんです。それが面白いんだと思います。

完全にキャラの確立された女性に囲まれて、ひとりストイックなまでに主人公を続けるというのが、このふたりのかっこよさ。まぁ、かっこいいところを描いているのだから、かっこいいのは当然と言えなくもないのですが。

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