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2010冬期
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戦う司書 第20話 「弔鐘と本と死にたがりの少年」

終盤かな。いきなり周囲に曇りの入った「本ビジョン」でノロティとエンリケの掛け合いがあって、「え? ノロティ死んじゃったの?」と思ったら、やはり死んでしまったようです。

楽園管理者ことカチュアの策略で世界中がバントーラの敵になりました。世界中の人が、ノロティが出会ったような死にたがりの少年のようになってしまったということでしょう。それでカチュアいわく「ノロティだけが自分の想定の外側へ出た」とのこと。

ノロティは優しい武装司書見習いです。優しいなんて言葉では言い表せないくらい。エンリケはその優しさに救われ、ノロティのためにバントーラに身を寄せていました。彼にとってノロティの喪失は自分の全ての喪失と同じ意味を持つでしょう。

ラスコールに「神溺教団すら憎くない」と言っていたように、もう本当に全てを失ってしまっています。でもエンリケは歩みを止めず、ノロティの本に残る記録を順にたどっています。その理由はノロティの物語を受け継ぐため。

喪失だの失っただの書きましたが、エンリケの中からノロティがいなくなったわけではないんですよね。エンリケはノロティのことが大好きだし、ノロティを守るためにバントーラに来たのに死なせてしまって、だからせめて彼女が何をしようとして、何をすることができなくて死んでいったのかを知りたいと思ったんでしょう。

ノロティは死んでもなおエンリケを動かし続けているんです。

ノロティのどこがカチュアを追い詰めたのか。あまり分かってはいないけど、彼女の「実はこの世界は私のもの」という考え方がキーとなっているようです。自分も他人も、自分にとって同等に価値のあるものだから、自分を殺そうとする相手でも殺せない。自殺しようとする「他人」を見殺しにできない。

「この世界は私のもの」っていう言葉は自分勝手の言葉ではなく、「世界のものは全部私のものだから大切にしたい」という意味。この辺が、他の武装司書とは決定的に違うと思います。

ハミュッツやマットらのように、天国なるものの存在や神溺教団の実在を知ってしまっている人は、絶対に「世界は自分のもの」なんて考えられません。「過去神」バントーラの名を冠する図書館の「館長代行」なのだから、この世界は全て私のもの、とはいきません。だからカチュアの手のひらの外へ出られない(と、カチュアは言っている)でもノロティにとって世界はノロティのものだから、唯一カチュアを追い詰めることができた。

ずっとノロティは好きなキャラでした。『戦う司書』の世界においてアクセントとなっていたのは間違いないけど、ここまできてどうして好きだったか分かったような気がします。その理由は上で書いたこと全部です。

ま、簡単にまとめると、『戦う司書』の世界でただ一人「力強かった」から。観てると元気になれるようなキャラでした。

なんか大好きなキャラだっただけに追悼文みたいになってきてしまいました。とりあえず展開としてはノロティの死をきっかけに世界は大きく動き出しているようです。世界中がバントーラに布告し、バントーラと教団の全面戦争かな。派手に戦って何とかなる話でもないので、どこに落とし前を付けてくるのかが楽しみになってきました。

この20話というタイミングに初めて『戦う司書』の展開と同じほうを向けているような気がします。

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