アニメの目

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2010冬期
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とある科学の超電磁砲 第24話 「Dear My Friends」

面白かった。後半パートの総括、シリーズ全体の総括みたいなことをするつもりで、そんなに重苦しくならないように気をつけながら書いてみます。

テレスティーナの異常な研究熱を、ただ単にマッドサイエンティストの血を受け継いでいるとか、そういうことで済ませてしまって、レベル6への異様な執着の出所を探っていませんでした。

彼女も被害者なんですよね。彼女は自分が被害者であるという認識はしていないかもしれないけど、それはそう認識したくないからしていないだけ。彼女自身がどう思うが、彼女は木原の実験のファーストサンプル(=最初の実験台)であり、それは間違いなく実験の犠牲です。

「自分が実験台となったことでレベル6を生み出す権利を得た」と言っていたけど、そうやって主張することこそが、意識的に隠した犠牲者意識の証明。ほんとうに自分が犠牲になっていないと思っているのなら、そんな権利の主張なんてするはずがない。

そういうわけで、彼女がレベル6の「開発」に執着していたのは、自分を実験台にされたことを憎んでいたから。

ちなみにそのことを僕に気付かせたのは美琴の言葉なんですよね。前も書いたけど、レベルアッパーの件以来、美琴の自分とは違う人の気持ちを汲み取る能力ってのが急成長を遂げています。その射程は同世代の能力者・無能力者に留まらず、木山先生やテレスティーナにまで及んでいます。

逆に無能力者の佐天さんが、能力者にしか感じられない苦痛であるキャパシティダウンをバットでぶっ壊すということをやってのけ、「能力者→無能力者」だけでなく、「無能力者→能力者」という理解も成立していて、ここにもレベルアッパー以降悩んだ成果というのが出ている気がします。

前回、4人に加えて固法先輩と婚后さんの6人でテレスティーナと戦ってほしいとは書いたけど、まさしくその通り。それぞれがそれぞれにできることをやり遂げ、それが見事にかみ合っていました。持つべきものは仲間かな。

で、木山先生ですよ。ほんとにいい先生です。「先生」ってのは、学者の呼称ではなく学校教諭の呼称。彼女は今も昔もずっと子供たちの「先生」なのです。

何がすごいって、子供たちのために体を投げ出せるとか、そういうのもすごいと思うんですが、それだけではなくて、テレスティーナとの戦いにおいて、完全に学生と同じ高さの目線でものを見られていましたからね。まっすぐ真正面から子供たちを見つめられるような、いい先生です。

で、ここで話が返ってくるんですけど、テレスティーナがレベル6の開発という、いわば「復讐」に奔ってしまったのは、いい友達といい先生に恵まれなかったからですよね。

木原の実験台にされ、テレスティーナの実験のために使い捨てにされそうになった子供たちが、最後には笑顔でいられたのは、命がけで助けようとした友達と先生がいたから。逆に言うと、テレスティーナの周りにそんな人間がいなかったのが不幸だったのかな。

そうやって考えると、テレスティーナは実験の被害者というだけではなく、それから救ってくれる人が現れなかったという意味でも被害者なのかもしれない。

でも、いずれにしても「やられたから別の人にやり返す権利」を行使する負の連鎖はここで食い止められました。あえて現実的な単語を選ぶなら「いじめ」の問題にも関連してきそうなことですが、ここは学生と大人たちの活躍で、そのスパイラルを克服できたということでしょう。

決め手は被害にあったという精神の痛みすらも包んで消してしまうような友情と愛情。枝先絆理ちゃんたちは、それでもうすっかり元気です。

あとは美琴がテレスティーナの過去に少なからず同情して、テレスティーナの行動原理にある程度の理解を示している(行動自体は間違っているので容赦なくぶっ潰しましたが。そこが美琴の魅力でもあります)というのもいいことですね。テレスティーナの心の傷を癒してくれる人がいなかったから、彼女はこんな大人になってしまったのです。美琴のように少しだけでも理解してくれる人が出てくると、だいぶ違ってくるんじゃないでしょうか。

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