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劇場版 東のエデン II 「Paradise Lost」 感想

放映から2週間ですが、やっと観てきました。やっぱり面白いですね。セレソンゲームも終了し、神山監督が何か言っているようですが『東のエデン』という物語はいちおう幕引きです。

結局滝沢がやりたかったことっていうのは、国民の意識改革みたいなもの。アガリを決め込んだオッサンどものケツを叩くことと、座り込んだニートを立ち上がらせることが彼なりの日本のリードの仕方。

滝沢が新聞配達の仕事をしていたのはお金をもらう練習をするためだと、冗談半分に言っていたけど、彼の言う「お客様は神様と言いながら、客に頭を下げてお金をもらう」ことが本来は楽しいものだという考え方は面白いです。

普通に考えてお金をあげるのとお金をもらうのではお金をもらうほうが断然楽しいものなのに、なぜか今の社会ではそれが逆になっている。小学生でもお金でアイスクリームを買う方法を知っているのに、お金をもらうのには大人だって慣れていない。思えばたしかに奇妙なことですね。

セレソンゲームにおいてセレソンに与えられた「力」っていうのが百億円という「財力」だったように、今の世界はお金で回っているんです。誰がなんと言おうがそれは紛れもなく事実。

そんでもってそのお金をめぐって、お金をもらう(=働くということ)ことが楽しくないという奇妙な常識が日本に蔓延しているのだから、そりゃ日本の未来も暗いですよね。滝沢にとっては、そういう空気を何とかするのこそが「日本をよくするために選ばれた人間」としての仕事だったということ。

そのバイタリティを与えるのが、かつての滝沢が目指した「王様」であり、今現在の滝沢のステータスとなった「テロリスト」です。作中の言葉を借りると「何者か」(ヒーローみたいなもの。英語で言うとsomebody。偉人とか、ひとかどの人という意味)ですかね。

国民みんなが「何者か」になりたがったところで、それは現実的でないし、その国民の集まりを国家とは呼べない。というのが物部さんの考えでしたが、それでも国民全員が滝沢に感化され「何者か」を目指すようになったとしたら、それは素敵なことが起きそうな気がします。

アトウさんが坂本龍馬や白州次郎を引き合いに滝沢を評していたけど、それってつまり、日本全体が注目するような「何者か」ということですよね。土付かずで偉大な業績を成し遂げる「何者か」が今の日本にはいない。

もちろん泥まみれになりながらも日本を支えてくれる人の存在は大切だけど、国民のヒーローみたいな人がいないと、国のエネルギーは衰えてしまうもの。

セレソンとして日本を何とかするために戦った滝沢が一体何者なのか、という問いに対する答えは必要ないのかもしれないとすら思います。日本国民に必要なのは滝沢朗という「何者か」の存在であって、それが飯沼総理の私生児かどうか、という問題は関係ない。

滝沢が咲に自分のおふくろを探してほしいと頼んだのに、その結果の「本当に飯沼総理の息子らしい」っていう情報をあっさり捨て去り、テロリストとして宣言したのはそういうことだと思います。つまり、彼は自分の社会的立場のために母親を捜したのではないということ。

じゃあ何のためかというと、彼個人のためでしょうね。セレソンゲームに参加させられただけで、もともと普通の青年だったんだから。二度も記憶を消してしまって、母親も知らずに生きていけるほど強くはないということかな。

社会的には滝沢朗が何者かなんて問いに答えは必要なくても、やっぱり彼自身のアイデンティティのためにはそれが必要。母親がいて、咲がいて、エデンのみんながいて、それで滝沢朗として生きていける。ヒーローの実際とでも言うんでしょうか。

さて、セレソンゲームの最後の一手は、滝沢による全国同時通話および一億人に一円分配でした。これが結構面白い。

上で書いてきたような「何者か」の存在をアピールするためには、全国の携帯電話に直接通話して呼びかけるというのは最良の手ですよね。さらに、携帯電話なんていうのはもはやアイデンティティの象徴とまで言われるアイテムなのだから、そこに直接アクセスするっていうのは、国民ひとりひとりを揺り動かすということです。

全国一億人に携帯電話で呼びかけ、担保という名の一円に希望を乗せて発信しました。電話をかけられた一億人はきっと「世の中すごい人間がいるもんだ」と感心するんじゃない?

一円を配るっていうのは面白いもので、もらった側は嬉しくとも何ともないのに、配る側の負担は一億円。ちなみに百億円あったら一億人に百円ずつ配れるんですけど、実を言うと百億円なんてその程度の力しかないんですよね。

逆に言うと一人一円ずつでも一億人集まれば一億円集まります。セレソンゲームは十一人に百億円ずつ与えて競わせたわけだけど、それってたかがその程度。物部さんがいくら頑張って政治を動かそうが、所詮は一人の力なんですね。

滝沢の一円配りがそういう「数の力」を再認識させてくれました。一人で頑張ろうとした物部さんや結城くんの末路は哀れあの通り。黒羽さんだって、ジョニーをちょん切るくらいのことしかできなかったわけだし。

だから滝沢一人が頑張って日本中に呼びかけても、すぐに世界は変わらない。でも、きっと火種は生まれてるんだろうな、と感じます。滝沢をよく知る咲やエデンメンバーをはじめ、豊洲の楽園に集まったニートたちが滝沢に次ぐ希望の担い手でしょう。

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