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2010冬期
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デュラララ!! 第12話 「有無相生」

分かった。『デュラララ!!』は結論を主張しないんだ。「これはこうだよ」っていう主張がないから、その主張を読み取ろうとしてもどうも空回りするわけだ。

例えば誠二→首の少女への愛は勘違いで、首の少女→誠二の愛は相手が張間美香を好きなのではないと知りながらの歪んだ愛。そんな愛でもなんだか実ってしまう。入学式から登校していなかった二人が、腕を絡めて一緒に登校する。

新羅がセルティの首のありかを知っていながら、それを知らない振りをしてきたのは、セルティが自分の知るセルティでなくなり、去ってしまうかもしれないから。実は新羅との生活でアイデンティティを充分に得ていたセルティが自分の首を求めるのは、自分の死の管理がしたかったから。ひょっとして誰かが自分の頭を殺したら、自分も死ぬんじゃないかという可能性が頭を離れずに苦しかったから。

そんな新羅からセルティへの自分中心の愛情も、セルティに受け入れられました。少しずれたところにお互いの想いがあるものの、お互いがお互いを必要としているというのは確かですからね。

それなのに、すごく純粋に園原さんを好いているはずの帝人の愛情は受け入れられないという不思議。

強いて言うなら、帝人はそれを渇望してないもんね。たぶん、何となく好きなだけ。それこそ、非日常を求める活動の一部かもしれない。だらだらするダラーズのつながりと、お互い真剣な愛情のつながりは全く別物なんでしょう。

でもセルティのナレーションで帝人が園原さんをお茶に誘ってフラれて云々というところがあったけど、彼らの恋にはまだまだ未来があって、これが青春だっていう感じもします。

要するに、ここで挙げた3ペアは3ペアともがポジティブな描かれかたをしたんですよね。とりあえずストーリーも一段落っぽいですが、「これは良くてこれは駄目」という表現は結局されなかったわけです。

キャラの個性で生きる『デュラララ!!』としては、その多様性こそが面白さになっているわけですが。

さて、そういうことを踏まえた上で前半総括。実はここまでが前フリでした。

あくまで僕が注目した言葉という意味でのキーワードですが、それを挙げるなら「日常・非日常」「つながり」それから「アイデンティティ」

帝人は非日常を望む。でも、臨也にはそれは難しいと言われる。「常に変化し続けなければならない」と言われる。逆にセルティは新羅との日常を、この上なく充実したものとして受け止めている。

静雄はどんなバイトをやっても続かなかったけど、今の借金取りの用心棒っていう仕事だけは続いていて、それが日常になっています。彼は今の生活に、たぶん満足している。

ドタチンファミリーは今日も変わらずつるんでいることだろうし、池袋人のほとんどが日常をそれなりに楽しんでいるようです。ま、日常なんてそんなもの。そんなものだからこそ日常って呼ばれる。

何をもって日常というのを充実させているのかというと、きっと生きがいみたいなもので日常に花を添えているんだと思います。

セルティのモノローグ。「私は私だ。何の不足もない」という言葉が印象的。だって彼女のアイデンティティは未だに首にあるのか体にあるのか定かではないし、誰がどう見ても首が不足しています。それでも彼女は彼女の日常に充足を感じ、自分が自分として生活していることに満足している。

生きがいっていうのは、きっとアイデンティティに起因する。「私は○○だ!」と叫べる人は、きっと楽しい日常を送ることができる。で、アイデンティティっていうのは、きっと他者とのつながりに起因する。前半パートで特に強く表現されたのが愛情っていうつながり。セルティ然り、張間美香然り。

池袋に非日常を期待して上京した帝人だけど、そこで「非日常」を目撃するものの、セルティは新羅との「日常」に戻り、張間美香は誠二との「日常」を作ってしまいました。

一連の非日常は日常と化してしまい、確かに臨也の言葉通り、帝人が次の非日常に出会うためには次のステップを踏まなければならないようです。

ところで非日常って何なの? 首から上のない女性がバイクで壁を下って、大鎌を振り回すのは確かに非日常ですけど、非日常を定義しようとすると結構むずかしいです。帝人の言葉を借りれば「普通じゃない生活」というところかな。でも普通って一体何を基準にすればいいのか定まらないし、きっと帝人も分かってない。

とにかく非日常っていうのは不確かで脆いもののように感じます。ここまで観て、僕が感じたのは個々の人々が確実につながり合いながら紡がれる日常の美しさです。破天荒なキャラクターに随分楽しませてもらったけど、結局は非日常より日常のほうに美はあるように感じています。

もちろんこれは僕の個人的な感想です。誰かが違うように感じているでしょうが、それはものすごく正しいことだと思います。(前フリがここで意味をなす)

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