アニメの目

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2010冬期
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ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第12話 「蒼穹ニ響ケ」

最終話、観ました。ほんとにひとつのことだけなんだけど、ちょっと書きたいことがあるので最終話だけ感想を書きます。っていうか、これはむしろ12話をまとめた感想にするべきかも。

Q: ところで『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』って、結局なにを描いたの?
A: 世界の全部を描いた上で、争いごと以外のそれを全て肯定した。

これが書きたいことの全部です。が、あまりにも簡単すぎるので、そう思うに至った経緯でも書いておきます。

1話:カナタがセーズにやってきます。そこで描かれたのは「水かけ祭り」という楽しいお祭り。初対面の女の子と楽しくはしゃぎます。

2話:おばけが出ます。ここですでに「滅び」と「死」のイメージに触れながらも、基本はカナタの入隊を歓迎する話。怪談系の軽いコメディ調。

3話:カナタが病気になります。こんなカテゴリがあるのかは疑問だけど、ひと言で言うと「看病話」です。ここでもカナタの病気から「死」を連想するリオが描かれます。

4話:旧時代の文明タケミカヅチとガラス細工というような産業に焦点を当てた職人魂な話。基本的にはポジティブに描かれる生産的文明のなかにも、タケミカヅチが戦争で人の命を奪うための道具だとする「滅び」の一面も強調されます。

5話:砦の乙女三人娘が遠足に行くハッピー回。これはもうストレートに自然の美しさを表現していましたが、同時に「世界の果て」という、またしても「滅び」を連想する光景も目にします。それからここで、先代砦の乙女の歴史が刻まれた観測装置の壁も描かれ、プラスのイメージで「歴史」が物語に導入されます。

6話:砦の乙女と町の人々の物語。マフィアを追っ払う痛快アクションの要素もあり、同時進行でカナタと教会の子供たちによる人間ドラマもあり。ただ、軍隊が酒の売買をしたりとか、ちょっとしたことで教会の子供が死んでしまいそうな事態になったりとか、日常の危うさを臭わせていました。

7話:先の戦争におけるあまりに美しくないフィリシアの記憶。これ以上ないほど強烈に突きつけられる「滅び」と「死」。戦争とその記憶がいつまでも人を縛り付けるということを描き出した話でした。でも、戦争が終わった後には、なくなった命を尊んで「精霊流し」という美しい儀式も執り行われているという、プラスなイメージも確かに取り入れられています。

8話:ザ・カナタサービス回。はじめてのおつかい的なノリ。ほとんどずっとカナタが映っていたせいもあって、基本的にのんびりしてました。でも、首都から通じる電話というのは、セーズも世界の一部であるということを印象づけます。その世界が、講和がなるとかならないとかで緊迫した雰囲気にあることも、このへんで明かされたはず。

9話:ずっと虚像を見ていたクレハが、クラウスの実像を知ってしまいながらも、変わらぬ憧れを抱き続けるというエピソード。親子ではないけど、親子愛に近いものが描かれました。クレハとクラウスは窮地に追い込まれながらも、無事生還。ここで人殺しの道具であるタケミカヅチが人助けに一躍買ったのも印象的。

10話:吹雪の雪山で老婦人の悲劇。でも、悲劇っていうのは外野から見た印象であって、死んだお婆さんの主観からすれば、あれは幸せな物語だったように思えます。ずばり、「死」が描かれながらも、ここでは必ずしもネガティブなイメージではない。むしろ美しさすら感じさせます。

11話:異人との遭遇。そこからの対立と協和。それと同時に世界は今にも戦争に突入という状態になっていて、カナタたちは「滅び」を目の前にします。

うん、やっぱりこうやって書き下すと一貫してるのが分かります。「死」「滅び」というキーワードを軸に、てんでバラバラのエピソードを描いているという点で一貫しています。

セーズから出ずの物語だったけど、ほんとうにあらゆるタイプの話が『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』に詰まっているのが分かると思います。で、そのいずれのエピソードも肯定的に描かれています。

ほんとうに、「死」と「滅び」を取っ払ってしまえば、ただただ美しい物語になります。それで、最終話でその「死」「滅び」をまとめて否定して、それで終了。だから『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』は、世界はただ美しいっていうことだけを主張しているんじゃないでしょうか。これが一番最初に書いたQ&Aの理由です。

他にも一貫していた部分っていうのはあります。それはいつだって人と人の関係が描かれていたこと。また全部書くとちょっとくどくなるのでやめますが、「初対面でも結ばれる人間関係」「カナタとクレハの関係」「カナタとリオの関係」「カナタとノエルの関係」「砦の乙女三姉妹の関係」「セーズの人々の関係」「フィリシアと他隊員の関係」「親と子の関係(クレハ)」「親と子の関係(リオ)」「夫婦の関係・先輩後輩の関係」「自分とは異なる人との関係」と、(結局全部書いてしまいましたが)各話で何かしらの関係に焦点を当てているんです。

特に7話では人と人の関係について、なかなかに素晴らしい言葉がありました。「誰かの生み出した偶然が、巡り巡って他人を変えることはあるのかもしれない」これってまさしく『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』という物語そのものだと思います。

これを踏まえると、さっきのQ&Aのアンサーは「こんな世界で生きることに意味はあるのか」という問いに対する答えになります。つまり、世界がそんなにも美しいのは人が暮らしているからなんですよね。人の営み、人と人の間の結びつきがなければ、世界はそんなに美しくない。だから、すでに滅んだといわれる世界でも人が生き続ける価値はある。「死」と「滅び」を否定し、人の「生」を肯定しているということ。

要するに争いの否定と、争い以外の人間の営みの肯定です。それを象徴するのが炎の乙女の伝説で、はじめは「悪魔を倒したけど、その首が燃え上がったから抱きしめ炎を止めた」というふうに語られたものが、最後には「傷付いた天使を抱きしめ匿ったけど、天使は他の人に炎を投げられ、炎の乙女は命をかけて天使を守った」と変化しています。「炎の乙女は命を守る」というのは、「生」の肯定(=「争い」の否定)です。

そんなこんな。簡単に言えば「とにかく生きよう。生きれば世界は美しい」です。でも、そんな脳天気な話ではないのも確かです。

それは充分に伝わっているでしょう。

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