アニメの目

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2010春期
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Angel Beats! 第2話 「Guild」

そのに。死後の世界ってものすごくRPGっぽい。直感的にそう感じた人も多いと思いますが、スタッフ側もそれを意識して作っているのは間違いないでしょうね。

1話でも「死んでも生き返る」「NPC」などなどいかにもゲームっぽい表現がありましたが、この2話のギルドへの道程はもはやRPGダンジョン以外のなにものでもない。そこで強調されるのは死んでも生き返る、つまりやりなおしの利く命でした。

ジョークで人が死んでいったもんな。はじめ、野田がハンマーに潰されたときは戸惑って引き返そうと言っていた音無が、最後ゆりっぺと二人になった頃には「でも大丈夫なんだろ?」と、やりなおしの利く命に対してすっかり慣れてしまっていたのには少し恐ろしいものを感じました。

死後の世界にいるのだから、基本的には全員に死の経験と記憶があるはず。でも音無は記憶をなくしているから、ほんとうの死というものを分かっていないようでした。そうじゃなきゃ、こうも簡単に「順応」できるはずがない。

ゆりっぺも死後の世界における死にすっかり馴染んでいるようだけど、実はそうじゃないらしい。音無と二人になったときに本音を漏らしてくれました。彼女には本当に守りたいと思った兄弟を死なせてしまった経験があったということ。

ゆりっぺはやりなおしの利かない死の記憶を持っているということです。音無はその話を聞いて、本来の死の有りようを取り戻したらしく、それがゆりっぺを守るための天使への体当たりという形になって表れていましたね。もともと死はやりなおしの利かないもの。

死んでも生き返る世界において、団員を「守る」と言った団長と、逆にその団長を「守った」団員。少なくともこの二人は死というものを見失っていないな、というふうに感じました。

とりあえず以上がRPGに端を発する「やりなおしの利く死」について考えたこと。で、以下がその真逆。つまり「やりなおしの利かない生」について。

生っていうのは何も死ぬ前の世界だけのことを言っているのではなく、死後の世界での生も含めて生です。

ゆりっぺを観ててすごい思ったのが、死後の世界では死がやりなおしの利くものとして扱われているのに対して、生については生前の世界と同じようにやりなおしの利かないものとして扱われているということ。

「もし本当に神がいるのなら復讐してやりたい」というのは本当の本気で、そのために彼女はできることをすごく頑張っていますよね。死後の世界でも時間は一定の方向に同じ速さで流れていて、「あれはなかったことにして」というのはありません。やってしまったことはやってしまったこと。やりなおしは利かない。

だからこそ死後の世界でも「生」という概念があるわけですが、とにかく「死」はリセットできても「生」はリセットできない。なんだか話の方向が少しうさんくさくなってきているという自覚はあるんですけど、最後にひと言加えるなら、生きたことを否定することはできないということ。生前のゆりっぺの人生がどれだけ不幸で理不尽だったとしても、その生の否定はできない。

テーマの「時に理不尽でも尊いもの、それが人生」ともリンクしてくるような話が、2話にして早くも登場です。

それっていうのは彼らの武器であるという「記憶」にも関わっています。生ある限り記憶は蓄積されていくわけで、記憶ってすなわち生きた証ですよね。どんなに理不尽な生だったとしても、その生は尊いもの。だからその生の証である記憶が、死んだ後でも力になるというわけかな。

実際に今のゆりっぺを突き動かしているのは、あまりにも理不尽すぎた生前の記憶なわけですし。しかしそうすると、記憶をなくして死後の世界にやってきた音無の存在がストーリーの上でかなり重要な位置を占めることになってくるのかな。

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