アニメの目

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2010春期
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Angel Beats! 第4話 「Day Game」

……ユイにゃん、完全に騙されたぜ。まさかこんな子だったとは。

さて、野球です。前回が音楽で、今回は野球。青春してんなあ。「舞台は学園、描かれるのは青春。ただし死後の世界」みたいな感じ。

岩沢さんは「消え」てしまったけど、ユイのファインプレイで日向は「消え」ませんでした。消える消えないの二例だけど、ここで考えさせられるのは「どっちを肯定するべきか」ということ。

要するに「消えてしまった」なのか、「消えることができた」なのか。ユイのはファインプレイだったのか、そうではないのか。

岩沢さんは音楽っていう自分のやりたいことを見つけて、音楽を頑張っていたけど、生前の世界ではそれを奪われていました。死後の世界に来て、ガルデモを結成して、生徒を熱狂させるような存在になったんだけど、そこでも天使からの抑圧とか「オペレーションの揺動係」という必要性が課せられてきました。

そこから解き放たれて、自分の歌いたい歌を歌ったことで自分の生に満足がいったという流れで消えたんだけど、僕はこれを全肯定しました。

オバケの成仏とかも無条件で肯定されるものだけど、それと同じ理由です。悔いが果たされるのって、それだけで素晴らしいことじゃないですか。

ただ、今回の日向を見ていると、「何でも消えられるのはいいこと」というのが間違っているのかもしれないというふうにも思います。

日向はセカンドフライを見上げながら「ここで消えられたら最高に気持ちいいじゃないか」と言っていたけど、人が消えるっていうのはそれだけのことじゃない。音無は消えようとする日向に「お前に消えて欲しくない」と思っているんだから。

天使に刃向かって、神への復讐をスローガンに戦う死後の世界の不良生徒たちなんだから、生前に何らかの傷を持っているのは間違いないです。ゆりっぺ然り、岩沢さん然り、日向然り。たぶん音無も。

そんな人生でも死は取り返しがつかず、その死でピリオドを打たれた生にも価値があったとすれば、死後の世界における「死」も取り返しがつかないものであって、だからこの世界の「生」にも価値はある。

たとえ死後の世界でも、日向がアホばっかりのチームを作って天使チームといい試合をしたのは事実で、その中で怒ったり笑ったりしたことには価値があるということ。ほとんど怒ってばかりだったけど。

だから日向の生も「消えなくてよかったね」と肯定してしまうわけです。要するに消えるも消えないも肯定してしまったわけです。なんだそりゃ。

ただ気になるのは、みんな野球で汗を流して岩沢さんが存在したことをすっかり忘れてしまっているということ。ドライ過ぎやしないか。

例えば日向がフライをキャッチして消えてしまったら音無は悲しむはず。戦線メンバーの中に、岩沢さんが消えて悲しむ人はいなかったの?

彼女が消えたことをすんなり受け入れすぎ。野球っていう次の青春に順応しすぎ。ボーカルにするとかしないとかいう話ではなく、ユイを岩沢さんの次のバッターとして認めるのが早すぎる。

音無にとっては岩沢さんは付き合いの浅い人だったし、突然消えてしまって唖然としていたのかもしれないけど、他のメンバーはそれなりの付き合いをしてきたはずなのに、彼女がいなくなったことに関して何も感じないはずないのになあ。

アホばっかでギャグは楽しいんだけど、なんとなく「分からない」感じがするのはその辺なのかもしれない。その意味ではゆりっぺよりも天使のほうが理解できると言えるかもしれない。

だって今回出てきた岩沢さんの残り香って、Crow Songのインストだけじゃない。メタですよ、メタ。

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