アニメの目

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2010春期
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閃光のナイトレイド 第4話 「カメラと包子と野良猫と」

13話っていう限られた尺の中でのオリジナルアニメ。ハッキリ言って「間抜けな日常回」を挟んでいる余裕はないはずなんだけど、それでも入ってくる。ということは、この回に少なくとも1/13程度の内容が含まれていると考えるべきなのかな。

むしろこの「緩」には、導入っていう役付けだった1話や2話よりも描きたいものは多く入っているはず。歴史の大きな流れを描きながらも、その中心にはスパイチームのメンバーの個性を光らせているというのがこれまでの方針だったように思うけど、とすれば極限状態の任務中よりも個性が強調されやすい、こういう日常的な活動は「描かれて然るべき」もの。

実際に、葵と葛の考え方や行動の違いは随所に表れていたし、そのふたりが意外といいコンビネーションだということも、観ていてすんなり理解できましたもんね。

さて、本題。日常的な会話だからこそ、そいつがどういうことを考えている人間なのか分かりやすい。

葵の思考はいたってシンプルで、いつも自分の中にある絶対基準から目標までの最短ルートを思い描いているようです。「包子が食べられなくなるのは困るから写真を撮る」「目の前にポーチを持った猫が現れたから後を追う」

対して葛は、自分と目標を結ぶ直線の間やその向こうに様々な障害を想定する。「かっぱらいのアジトを襲撃するなんて、工作員のするべきことではない」「猫は自分より体が小さいから、猫の後を追いかけることは不可能」

で、肝心なのはどちらが正しいか決めることはできないということ。例えばいつだって軍服をちらつかせる軍隊に関して、「戦場でもない異国の市街地で常時軍服というのは何かを勘違いしているように思える」という葵と、「常に有事に備えているということだ」という葛。どっちも正しい。

歴史的な大失敗と言われるものの多くは、国や宗教という集団に属する人がみな同じものを同じように見てしまったときに起こっているのだから、どの時代にも周囲の風潮や雰囲気、常識に縛られずに自分の価値基準で判断を行える人間というのは価値があります。ただし、そういう人間に価値があるのは、常識や規則というルールを守って生きている人間がいるからなんですよね。

どっちが正しいと決めることができないのは、そういうこと。片方が欠ければ他方に価値はない。それどころか、危険ですらあるかもしれない。

目には映らない味を写真に収めることが難しいのと同様に、こういう目に見えない関係のバランスを正しく認識するのは難しいものですが、葵と葛のコンビは、ほとんど天然にそれを行えているようです。そこが彼らのコンビネーションのいいところですよね。

同じものを別の角度から見られる人間が側にいるっていうのは、実はものすごく幸運なこと。組織っていうのは似たもの同士が集まることが多く、例えば軍隊の内部に「ずっと軍服でいるのってどうなの?」と考える人はまずいないと思う。当人にとってはうざくて仕方ない「相方」かもしれないけど、雪菜も言うように彼らはいいコンビ。巡り会えたのは幸せだと思います。

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◎閃光のナイトレイド第4話「カメラと包子(... from ぺろぺろキャンディー 2010-07-19

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