アニメの目

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2010春期
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デュラララ!! 第20話 「黄天當立」

今こそ黄巾賊は立つべきだ! そういう力強い言葉のはずなのに、こんなにも混迷している。正臣の意識、古参メンバーの意識、新参メンバーの意識。

事実と真実と現実は別の顔をしているらしい。現実というのは狩沢や遊馬崎のいうように虚構であり記号であるわけで、要するに100人いれば100通りの現実が存在するわけです。

事実や真実とは隔絶された世界を自分の内に作り上げて、その妄想を現実とすることができる。というか、誰もがそれをしているし、それを自覚している人さえ少なくない。

正臣もその一人です。自分の現実が自分だけの現実だと知った上で、自分の現実を守るために抗う。大好きな女の子を助けにもいけなかったという事実から逃れるために用意した現実は、例えば折原臨也の言ったように「本当は沙樹のことが好きではなかった」というものであったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。

いずれにしても事実から自分を守るための防波堤が帝人や杏里との日常であり、その日常を自分の現実だと妄想したわけです。

ところが切り裂き魔事件が防波堤の片翼・園原杏里を決壊させた。園原杏里が自分にとっての現実ではなく、事実と密接に関わってしまった。今度もまた自分の現実を奪われてたまるか。そう思って必死になって、迷走中の黄巾賊に舞い戻ってまであがいたのに、その結果、残された防波堤・竜ヶ峰帝人までが事実となってしまった。

もはや紀田正臣にとって現実は事実と同じ顔をして自分に迫っています。逃げ場はもうない。逃げる先の現実がもうないのだから。

「結局過去から逃れられないのは自分だけ」これはすなわち、過去というものが万人に共通するものではなく、個人個人で別に存在することを示唆していますね。自分の過去が存在し、別の人には別の人の過去が存在する。過去を事実ではなく現実(虚構)として消化し続けているから、いずれ自分の事実にその現実がフィードバックされる。かくして人は自分の過去から逃れられない。

それが現在の正臣を取り巻く事実と現実。じゃあ真実ってなんだ?

これは正直よく分からない。その理由は今までのストーリーに事実と真実を区別させるような複線が存在しなかった(ように思う)からなんだけど、ここはとりあえず一般論でいきます。

事実とは目に見える表の部分、すなわち観測者によって異なるもの。真実はその裏に潜む「絶対の事実」。こんな感じかな。見る目によって事実は異なるんだけど、その人の主観で歪められたものではない。その人の主観で歪めたのが現実。

つまり、真実があって、それを目にした人に事実として認められ、頭の中に取り込まれる際にある意図が働いて現実となる、という構造なのかな。

そうであれば、確かに正臣にとって事実と真実は同じです。帝人がダラーズのボスであることは真実にして事実。それから現実。

でもその真実を告げたのは誰だ? 折原臨也じゃないか。つまり、それは折原臨也の事実に過ぎないのかもしれない。観測者・折原臨也の目が真実を捉えた結果の事実が、真実であるとは限らない。彼の目には映らなかった真実が存在するかもしれない。

これが紀田正臣の唯一の望みであり、まだ事実を知らない帝人や、事実に触れつつある杏里にとっての望みです。ま、つまりは友情ってやつですよ。折原臨也の目には絶対に映り得ないであろうものです。

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デュラララ!! #20『黄天當立』 from 本隆侍照久の館 2010-06-12

露西亜寿司。 ドタチンたちはそこで正臣から話を聞く。 黄巾賊のヘッドがダラーズのメンバーに用がある。どんな話の内容かは自ずと答えが出るところであろう。

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