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2010春期
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閃光のナイトレイド 第13話 「せめて希望のかけらを」

あえて近代(現代は太平洋戦争以降を言うそうです。意外なことながら)をテーマに、当時の街の様子や風潮を意識して「リアル」に描いているのに、なぜか超能力や預言者という非科学的な要素が強い。そこが『ナイトレイド』を観る上ですごい不思議なところだったんですけど、なるほどね。要するに「超弩級の破壊力をもつ爆弾」に話を繋げていきたかったということらしいです。

桜井機関の4人は、それぞれの思想や目的を持った個人であり、新旧のイデオロギーの象徴であり、同時にごく普通の人間でした。

時代の動きに対する感受性もそれぞれで、全員が独特の弱さや脆さがあったけど、馴れ合うわけでなくお互いの弱さを支え合えるという「よき仲間」であったのは間違いないです。

葵と葛は、最終的には「俺とお前は違う」ということを認めながらお互いを尊重できる仲になったと言えるでしょう。

で、そういうそれぞれが非常に「個人」であった桜井機関において、彼らの唯一の共通点は超能力、すなわち過剰な力でした。

「過剰な力」という言葉で思い出すのは2話で登場したスパイのバイオリニスト。自分の過ぎた才能が、逆に自由な音楽活動の妨げとなった例でした。つまり、能力に対する悲観が早くもここで示されたわけです。

で、その後は能力というものについて、能力全開のクールなバトル(3話)、能力なしの猫探し(4話)などでいくつかの側面を描きながら、最終的には「超弩級の破壊力を持つ爆弾」を戦争の抑止力に、という話に展開されていきます。

その中で印象的なのが、棗が能力の使えない新月の夜が好きだと言ったこと。能力の使えない自分が最も人間らしいと感じられるということでしたが、これは確かに能力のある一面でしょう。

超能力というのはやっぱり個人には重荷であって、ただ普通の人間として雪菜を守りたいだけの棗には過ぎたものと感じられたんでしょう。

それは高千穂勲が新型爆弾というビジョンを個人的に手に入れてしまった重圧にも似ています。日本の未来のため、アジアの未来のため、世界の平和のために必要である「新型爆弾という未来」を思い描けてしまい、さらにそれを実行するだけの能力とカリスマが彼には備わってしまっていた。

でもそれは高千穂勲個人が背負うには重すぎるもので、その重圧が上海爆撃という暴力的なアイデアに結びついてしまったんだと思います。

ただ、『ナイトレイド』において「過剰な力」は常に悪と見なされていたのかというと全然そんなことはなく、その新型爆弾を処理できたのは葵と葛の超能力のおかげでした。要は使い方。

あとはその力を一人で抱え込むのではなく、他人と共有し、他人の能力と足し合わせて使うということ。

最後には全員バラバラになってしまい、あるいは満州国のことだって(当然ながら)歴史の通りに進んで、どうもその先に暗い時代が見えて仕方ない。基本的にはネガティブなストーリー。それは時代性からいっても当然のことだけど、その中にも明るいものは少なからず感じられました。

彼ら桜井機関はそういう暗くて辛くて苦しい戦いのなかで、「希望のかけら」を共有し合った仲だったと思います。スパイ組織が解散されると、メンバーも散り散りになるというのは当たり前だし、そもそもそんな馴れ合いの関係でもなかったのだから、全員がバラバラになってラストを迎えるというのは、すごく「らしい」終わり方だったんじゃないかなと、好印象でした。

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