アニメの目

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けいおん!! 第20話 「またまた学園祭!」 で思ったこと

最近どうも「日常系」なる日本語をやたら頻繁に目にするようになったので、これ以上人様の考えを自分の考えだと錯覚しないうちに自分なりの考えをまとめておかねばなるまいと思い、こうやってちょっと書いている次第であります。ちょうど稀代の日常系アニメ『けいおん!!』がひとつのクライマックスを迎えたのでいい機会でもあるしね。

ああ、だからこれ『けいおん!』の感想ではないんです。いちおう始めにことわっておきます。

『けいおん!』(1期)はずっと感想を書いていたので、タグ:けいおん!で読んでいただけますが(ああそういえばこんな失礼なエントリも書いたっけな)、基本的には変わらない日常のなかで少しずつ変わっていく唯たちのすばらしさについていろいろ書いたように憶えています。

最近「日常系」と呼ばれるもののひとつの正体は「変化の物語」だと思っています。(以前、『けいおん!』について「日常アニメでありながら変化(成長)にアプローチし、それが女子高生の刹那性と合致している」というようなことを書きました)

しかしまあ「成長」なんてどんなアニメでも描くもの。「日常系」はどこが違うのかというと、これといったイベントなしに成長していくのです。

「日常系」が切り取るのは文字通り「日常の断片」です。ほとんどの場合そこにはストーリーもドラマも存在しない。「日常系」でないアニメが切り取るのは「あるイベントの過程」です。主人公が成長するのには確固たる理由が描かれます。

例えば復讐を誓って追い詰めた宿敵が父親であるとか、最も親しかった友人の死であるとか、あるいはそれをも乗り越えさせてくれる恋人の優しい言葉であるとか。成長には過程があり、その過程をエピソード単位で分割し堆積させたものをストーリーと呼ぶ。それが「日常系」でないアニメの描き方。

対して「日常系」には脈絡がない。何せ「日常」をスライスしているのだから、その全てを積み上げても成長の道筋は見えてこないでしょう。でも成長に脈絡は必要ないというのが実際だと思います。見てそれと分かる変化ではなく、認知できないレベルの変化が重なって1クールで成長となる。すなわち「日常系」は「脈絡なき変化の物語」なのだと思います。

『けいおん!』は、軽音部の認知できない、けれども感知はできる変化というものにこころをときめかせる類のアニメです。まさしく亀の歩みのようなもの。それが「変化する日常系」の正体。(今さらですが、もちろん「変化しない日常系」というのも存在します。『らき☆すた』然り、京アニでアニメ化予定の『日常』然り)

変化といえば1期から2期にかけて確実に変化した部分がありますね。それは『けいおん!』が軽音部だけのものでなくなったという点。クラスメイトや他の部活との交流が圧倒的に増えています。ひと言で表すなら「輪の拡がり」みたいなもの。

1期の唯を成長させたのは軽音部のメンバーとの出会いでした。2期になって唯を成長させたのはさらなる交流の拡がり。それは2年と3年の学祭ライブの様子からも明らかです。で、加えるとこの変遷も確固たる過程(理由)なしに行われました。

だって隣の席の子と仲良くなるのに理由なんてないでしょう? 毎日顔を合わせているだけで、いつの間にか友達になっているものです。そうやってストーリーなく拡がる交流の輪が、唯さらなる変化をもたらすわけです。

ちなみにオープニングはこういったことを端的に表しています。まず「Cagayake! GIRLS」の初期OPについて。終盤に全員が楽器持って演奏するカットは、背景を変えて同じ演奏が繰り返し描かれます。これは「場所に依らない彼女たちの関係性」を切り取っています。要するに「日常」というやつの象徴です。

次、「GO! GO! MANIAC」の第2OPについて。これの演奏は、バンドのPVによくあるような、カメラをくるくる回してという演出でしたが、もう単純に「輪」の表現ですよね。さらにいえば、メンバーの視線がカメラを追いかけているという点で、軽音部外からの視線と、それに対する呼応を描いています。すなわち軽音部という輪と、それに関わる周囲の人々という関係性を意識しているのでしょう。しかもこれも繰り返しで描いています。

最後、「Utauyo!! MIRACLE」。唯が壇上でくるっとまわる。これが最後には観客に伝染する。「輪の拡がり」です。

とまあ以上。こういう流れで『けいおん!』は作られてきて、これからは卒業に向けて梓視点を大事にしながら「輪」を描いていくのでしょう。

最後、「日常系」というものについてまとめると、それは「とりとめのなさ」「脈絡のなさ」のことです。「変化する日常系」であれば「脈絡のない変化」が描かれることになる。『けいおん!』が特別である理由としては、やはり高校生の刹那性に「変化する日常系」という形態が合致したということだと思います。

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