アニメの目

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偶像としての初音ミクを解析する

最近色気のない朝チュン展開が多くってアニメの感想はおろか、そもそも視聴もできていない有様です。申し訳ないとは思いますが本当に睡眠時間が……

昨日に至っては友人と酒を入れて延々VOCALOID(と言うか初音ミク)について語り明かすというムサさ加減だったわけですが、その時友人が持ち出した未来私考さんというブログの「初音ミクという神話のおわり」がすごく興味深かったので、その友人と喋ったことや未来私考さんのエントリを読んで考えたことをまとめておきます。

未来私考のGiGirさんの文章は掻い摘んでいくなら

  1. 『恋スルVOC@LOID』こそが“歌姫”初音ミクの誕生となった曲。GiGirさんの言を借りればどこにもいない初音ミクという架空の女の子が自らについて語るという内容であり自らの存在に自己言及する曲。スピーカーから聞こえるのはミクの声であり、ミクの歌であった。モニターの向こうには間違いなく初音ミクが存在しているという共同幻想がムーブメントの原動力となった。
  2. しかし『メルト』で“歌姫”としての初音ミクは突如消滅した。名曲ではあるがこれを歌っているのは初音ミクではない。初音ミクがクリエイターにとってのツールという本来の姿に立ち戻ったことによって共同幻想は崩壊し、同時に初音ミクの神話が幕を閉じた。また、“歌姫”としての初音ミクの追悼曲が『サイハテ』である。
  3. そうして神話の時代が去り、初音ミクそのものよりもその作り手が注目される人間の時代が到来した。キャラクターとしてのVOCALOIDファミリーの個性や、きもさとシュールさを押し出したMikuMikuDanceなど、『メルト』以降の初音ミクは様々な姿を見せた。
  4. 『恋スルVOC@LOID』に始まった神話の時代は音楽で人と人が繋がる、楽曲やVOCALOIDという場に人が集まり交流することへの兆しであった。かつての神話は取り戻せなくとも、その神話が築いた文化は残っている。
という感じでしょうか。

僕にとって最初のミクは『melody...』でした。まさしく共同幻想時代の名曲であり、これで感動や感嘆、衝撃と表現されるようなものを感じました。その後は同じようなテーマを扱った楽曲を片っ端から聴いて廻り、当然『恋スルVOC@LOID』だって聴き込みました。

なるほど、あの時の衝動は作者でも楽曲でもなく、初音ミクそのものに向いていたということですか。幻想を抱いていたという自覚はなかったし、今でもそうだったとは思えないけど、個としての初音ミクを追求していたと言われればそんな気もします。

あの頃は実体のない電子の歌姫という珍妙なものに対する好奇心と、あとは歌うために作られた装置としてのミクを取り巻くファンタジックな物語にビビッとしたものを感じていました。すなわち初音ミク自体に興味があったわけです。ある種のマニアック嗜好と言えるかもしれませんね。

その後『メルト』ショックで“歌姫”は死に、次の時代が来たということをGiGirさんは神話の時代から人間の時代へと移行と表現しています。

うん、それもある。確かにミクの実体がないという特殊な偶像性は薄れたし、「○○Pの新曲は~」や「○○Pの曲の特徴は~」という風に興味の対象が人に移ったのも事実です。でも、その最大の要因はVOCALOIDという文化があまりに膨大に膨れ上がったからじゃないかな。ニコニコ動画にアップロードされるVOCALOID曲なんて星の数ほどあるわけだし、その中でお気に入りの曲を簡単に探すのならばお気に入りの作り手の名前を覚えておくのが一番合理的。

やってることはCD屋にお気に入りのアーティストの新譜が並ぶととりあえず試聴してみるのと全く同じです。偶像性が薄れ、作者が注目されるようになったのは時代の移り変わりと言うよりは、初音ミクがアイドルからジャンルへと移り変わったからじゃないかな、というのが僕の認識。それが“歌姫”の「死」なんじゃないかな、と。

上で神話時代の曲に対する聴き手の姿勢がマニアックだと書いていますが、そういう意味ではこの「死」がポピュラー嗜好への移り変わりであると言い換えることもできます。ブームなんてのは一部のマニアが火をつけ、それが一般に受け入れられる中でよりポップな文化に変容していくものだと思うので、この「死」は初音ミクの発展の上で起こるべくして起こったことだとも言えます。

(こんな書き方をすると変容した後のポピュラー嗜好を疎ましく思っているように感じられるかもですが、決してそんなことはありません。そこは一応ことわっておきます。)

そんな流れでポップミュージックに近づいたVOCALOID曲。『メルト』にはミクが歌う必要性もなく、その意味では歌い手というニコニコ動画の別の文化と融合することで、さらに大きく成長したわけですが…… え? ミクが歌う必要がない?

それならばなぜ初音ミクというブームは過ぎ去らないのでしょうか。僕は単純に歌う能力だけを比較するのなら断然人間のほうが良いと思っています。事実、オリジナル曲も好きだけどダウンロードしてiPodなりに入れて持ち歩くのは歌い手の歌った曲っていう人は多いみたい。

考えればGiGirさんも書いていたように、そもそものVOCALOIDはカバー曲などを歌うことで始まった文化だから、今更ミクが歌う必要性なんて考えなくても良いのかもしれないです。でも理由のないブームはすぐに過ぎ去るはず。長続きするのにはきっと理由があるんじゃないかな。

そうやって考えたときに思いつくのがアイドルでありジャンルであるという2面性。散々「アイドル性が失われた」と書いてきて今更何だと思うかもしれないけど、そのアイドル性は共同幻想を抱かせた種類のアイドル性で、ここで言うアイドル性は例えばビジュアルとかキャラクターとかそういうもの。

“奇跡の3ヵ月”を支えたのが誰でもない、どこにもいないのに「初音ミク」であるという2面性だとすると、『メルト』以降の人気を支えるのは個であり集合体であるという2面性だと思います。どちらも普通のアイドルでは考えられない特異な性質で、その特殊な性質こそが初音ミクの魅力じゃないかな。

個であり集合体であることのメリットは、柔軟性の一言に尽きると思います。個であるから基本的に何をしても許される。だから動画の作者が自由な発想で“初音ミク”を作ることができ、同時に集合体であるから他の動画の“初音ミク”と同一のものと見なすことができる。もちろん、作者が別だから「このミク」と「あのミク」は別だと考えてもOK。

そういう風に複数の初音ミクをゆるく曖昧に繋ぎ合わせて、その上に“初音ミク”という像を形成できるんですよ。そのふにゃふにゃな像は簡単に姿を変えることができ、だから結論としてミクは何でもできるんです。

娯楽なんて一過性のもの。とは言っても娯楽そのものは古代エジプトから続く普遍的なものです。音楽のジャンルも一過性。今のピコピコ電子音の音楽は一昔前では考えられなかったかもしれませんし、この100年後の音楽の姿を予想することだって困難。でも音楽そのものは普遍的なのです。

初音ミクの強さは柔軟さを生かして普遍的価値を持つ音楽そのもの(もっと言うとエンタテインメントそのもの)に取り付いた所にあるんじゃないかな。だから思ったよりも長く続いているわけです。

あ、最後に一言。
ずっと神話の終了みたいなことを書いてきましたが、OSTER projectは未だに“ミク曲”を書き続けていると思っています。どれも素晴らしい曲で大好きです。

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