アニメの目

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2010夏期
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学園黙示録 H.O.T.D. 第10話 「The DEAD'S house rules」

アバンの段階で考えたのが、今までいろんなものを捨ててきたとは言ってもそれを共有した仲間がいれば平和の再構築をできるんじゃないかということ。それからタイトルで強く再認識させられたのが、広域で共通するルールはなく、個々の集団がハウスルールを設けているということです。

それが長続きはしないとしても、孝たちは高城邸というタヒチ島にたどり着いてしまいました。今まではひたすら自分たちが生き残るために奴らを倒すしかなく、自分のするべきことっていうのははっきりしていた。自分が正しいと思うことは他の仲間も正しいと思うことで、その点で選択はいつでも合致していたのです。

もともと孝たちの間にルールなんてものはなく、お互いの目的が同じであったことと強い信頼関係だけでここまでやってきました。安全な環境に身を置くと、それぞれは別のことを考え始めます。

束の間とは言え平穏を感じると、それが逆に恐怖にもなるはず。もし仮に共通の敵を失い、共通の目的がなくなってしまったら、自分たちは仲間ではなくなるんじゃないか。

それが顕著に表れたのが平野でした。軍オタで銃の扱いしか取り柄がない彼は、大人が取り仕切る大きな集団に取り込まれることで、何の役にも立たずただ守られるだけの子供(奴ら出現前の平野)に逆戻りしてしまうということ。銃の優位性を必死に主張するのは、「役立たずでない自分」を守りたいから。

荒波を乗り越えてタヒチにたどり着いた船乗りは、タヒチでの平穏を経て、次の航海で規律を乱したといいますが、規律というものが崩壊したのはタヒチに立ったときでしょう。孝たちも同じ。厳しい環境や命の危機に瀕して寄り添っていたのだから、大きく安全な集団に合流できれば解散ということもあり得るわけです。

平穏の中でなんとなく全員落ち着きがなかったのは、それが原因です。

もうひとつ、強く感じたのは「大人」と「子供」という新しいテーマでした。学園からたった5人(+教師)で奴らの跋扈する町を切り抜けてきた子供たちであっても、子供なのだから大人が守り管理するという、大人たちの考えがありました。

「これは大人の仕事」と言ったり、「子供だから」と銃を取りあげようとしたり。逆に子供たちは自分たちが子供として扱われることに不満を感じているようです。

タヒチの喩えとも関連していることだけど、子供でいられるというのは平和である証拠。自分の身を守るために奴らの頭を潰してまわらなくていいということです。でも、その子供として扱われる平和は彼らの心に影を落とすのです。

それに高城や毒島先輩といった頭のいい人は気付いていたけど、その平和はいつまでも続くものではなく、彼らがいつまでも子供でいられるわけがないのです。大人は子供を子供として扱いたがるけど、それが可能な世界じゃないから、彼らも子供に甘んじているわけにはいかない。

取り込まれるのか、別れるのか。

最後には全員で平野の働きを讃え、自分たちは仲間であるという結束を取り戻したようだけど、彼らの選択はそういうことでしょう。

別々のことを考えていたようで、結局全員が「こいつらと別れたくないなあ」と思っていたってことじゃないかな。

でもこれってすごいこと。彼らはタヒチにたどり着いてなお、信頼関係を保ち、さらに「自分が正しいと思うことをする」というスタンスを崩さずにいるってことだから。

今でも「自分のしたいこと=仲間たちのしたいこと」であり続けているようです。

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