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2010夏期
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世紀末オカルト学院 第12話 「千の風、美の尋めゆき A thousand wind, the search for beauty」

見事に黒魔女をやっつけて万歳、とはいかないらしい。今回明らかになった確定情報がほとんどないのでいろいろ推論ばかりするエントリになりますがお付き合いください。

ていうかたしかテレビ東京で今日最終話だったっけ? ヘタなことは書きたくないものです。

さて、「ノストラダムスの鍵」こと黒魔女を倒したはずなのに文明のいた未来は変わらなかったということについての解釈。

ひとつは、時間の流れとして過去から未来に流れていくのだから、過去を改変すると別の未来が生まれるだけで、既存の未来が変わることはない(すなわち、文明がもともといた未来の過去ではノストラダムスの予言は実行されたまま)という考え方。これが妥当じゃないかな。

あるいは、黒魔女を倒すか倒さないかということだけが「ノストラダムスの鍵」なのではないということ。つまり、黒魔女を倒した後のマヤや文明の行いも「鍵」の一部であるということ。これは『世紀末オカルト学院』的には一番ありえそうかな。

っていうのも、『世紀末オカルト学院』は決して魔法戦争の話ではないからです。バトルというのはひとつのクライマックスの形に過ぎず、そこには白と黒の対比があったり、マヤのオカルト(父)への気持ちがあったり。そういったことはこれまでの10話の流れからして蓋然性のある展開。(前回の感想で書いたことです)

だから派手な魔法バトルで勝てば終わりでなく、決着をつけるべきはマヤとか文明の内面的な問題であるはず。そうやって考えると黒魔女だけが「鍵」なのではなく、「鍵」の一部に過ぎないという考え方は非常に『オカルト学院』っぽいように思えます。

話は変わってマヤと文明が最後に唱えた呪文について。どうも「あらゆる魔の力を封じ込める」みたいなものらしいんだけど、それってもしかしてオカルトの消滅を意味するんじゃないの?

マヤが小さい頃から大好きだった、目には見えない大切なものを見せてくれるオカルトという存在の消滅。それが本当だとしたら、マヤにとってオカルトは本当の意味で目に見えないものになってしまいます。目には見えない、触れることができないけれども大切であり続けるもの。

マヤのオカルトに対する愛憎入り交じった感情は、そのまま父親に向けられている感情と同じだということから、マヤにとっては「オカルト=父親」という公式でずっと観てきたわけですが、それをここにも適応させると、マヤが父親から卒業するということになりますね。手の届かないところにいるお父さんをずっと大切に思い続けるということ。

なんだけど、どうもやっぱりお父さんは生きているらしいです。生きているらしいんだけど、どうしてマヤの大ピンチにも助けに来なかったんだろうか。

疑問点はここまでにして、とりあえずこれまでのまとめ。オカルトという「目には見えないもの」を中心に据えながら、親子愛、友達、信頼関係、愛といった「目には見えない大切なもの」を描いてきました。徹底されているのは事や物ではなく、感情的なものを丁寧に表現するというところでした。

もちろん自分にオカルト知識がなかったために事や物よりも、マヤたちの気持ちとかのほうが大切に見えたのかも知れないですけどね。オカルトに詳しいと、もっと別の見えかたもあるんだと思います。

それから次回予告の「マヤの文明」が全然センタリングされてなくて気持ち悪かったです。たぶんなにかを意図してのことだろうし、マヤの左になにか文字が入ったりしないかなとか考えたけど分からず。次回、最終話を待ちます。

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