アニメの目

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2010秋期
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ヨスガノソラ 第6話 「アキラメナイヨ」

一葉編と瑛編と、全然違うのだけど、どこが違うのかとひと言で表すなら、悠の動きの量が全然違うということになるのだと思う。

以前の感想でもずっとそう書いているけど、僕の中で一葉編というのは、一葉が瑛と父親のことについて一人で問題を作って一人で問題を解決しただけの物語で、その成長の象徴としての異性・悠が存在するというもの。

神社の境内でヴィオラを聞かせる一葉に対して、お約束に眠り込む瑛と、いやらしい回想をする悠という、てんでバラバラな思惑を三者三様に抱えたまま、「なんとなくハッピーエンド」を迎えたという感じでした。まあ要するに、よく分からないけどとりあえず解決したことになっているっぽい感じ。

プールで瑛と一葉の秘密の一端に触れてしまった悠が、一葉とではなく瑛と親密になっていくことで全く異なる物語に展開されていくという「分岐」型ストーリーとして描かれたわけだけど、そうやって考えると、一葉編と瑛編とでワンセットとして捉えるのは、すごく妥当な気がしてきます。

だって、一葉編で瑛は本心をほんの少しも見せていなかったわけだし、瑛編が一葉編で描かれたことの上に成立しているというのは間違いないから。一葉編を踏まえて、一葉編では描かれなかったものを描く。そう書くと、まるで一葉編が瑛編の「前哨戦」であるように感じられるかもしれないけど、そんなつもりは全然ないし、そんなのは事実でない。

瑛編で描かれたことは、一葉編にフィードバックされて肉付けします。一葉編においては暗部として描かれた瑛について視聴者がその本当を知ることで、一葉編というのはまた違った色を見せ始めるわけです。

具体的に言うと、一葉がどうにかして瑛の力になってあげたいと思っていた気持ちは、「自己満足」や「父親を責めたいだけ」ではなくて、瑛が苦しんでいるということを一葉がちゃんと気付いてあげられていたからなのだな、とか。もちろん上で挙げたネガティブな面も真実で、だからこそ面白いのだけど。

ただ、こうやって考えると、ずっと我慢して我慢して我慢し続けて、「笑顔なら誰にも負けない」という言葉を実践するべくいつでも笑顔であろうとし続けていた瑛にとって、一葉編の展開はあまりにも酷。

前回の感想は「チラリズムってエロいなあ」ということしか書かなかったのだけど、そう、瑛はチラ見せの天才なのです。本当は心からの幸せを願っていて、一葉と一葉母とのやりとりを羨ましく思っているような子。でも、「私は大丈夫」と笑顔を振りまく子。無理して明るく振る舞っても、そういう感情はどうしても体から染み出してくるものです。

で、一葉編のシナリオを振り返ると、「自己満足」や「父親を責めたいから」という理由がありながらも、瑛が苦しんでいるということに唯一気付いて手を差し伸べていた一葉の手を瑛は拒み、そうこうしているうちにその手は悠とギュッと結ばれていたわけです。なんという断絶、なんという孤独。

そりゃあもう寝るしかないですよ。例え眠れなかったとしても、寝たふりをするしかない。幸せな一葉と悠を見て、「それだけで私は幸せ」と笑顔でいるしかないのかと思うと、一葉編の瑛が不憫でならない。特に悠には思い出してももらえないとか、なかなか酷い。

おっと、せっかく瑛編で瑛が幸せになれたのに、一葉編のことばかり書いている。一葉編のことはここまでにしますが、とにかく言いたいのは、瑛編は一葉編とセットにして見ることで両編の深みは増すし、エロさも増す(「エロさは関係ないだろ」と思う人は、きっと正しい)。そういう面白さを「分岐」という形態が引き立ててもいる。

さて、本当の意味での幸せを手に入れた瑛。紆余曲折(というか、瑛の幸せに対する臆病さ)はあったけど、一葉編とは違って主人公である悠がちゃんと動いた。これは大きな違いだと思う。

悠が気付いて、瑛のために必死になって、それに一葉も巻き込んで、ということをしたおかげで、問題は全部解決したのだから。一葉編では一葉が一人で問題を解決していく様子を眺めているだけだったから、瑛があれだけ不憫な思いをし、それを見ているわれわれ視聴者も素直に一葉と悠を祝福する気にはなれなかったのだけど、今回は違うのです。

だから今回のタイトル記号はA4というよりはAK4(あ、それだとK4と重なるからダメだ)のほうがベターかも。とにかく、今回のは一葉編に関するひとつの結末の形でもあったということ。一葉編と瑛編を複合して見たときのハッピーエンドのひとつの形ではあったのだと思います。

ただ一点を除いて「概ねハッピーエンド」だったんじゃないかな(その一点については後で)。「なんとなくハッピーエンド」から「概ねハッピーエンド」。こう書くと、だんだんハッピーの度合いが増えていっているようで嬉しいですね。それに、瑛と一葉周辺に関しては、もうこれ以上ないくらいの幸せが実現されているのだから、水の差しようもないです。

やれ過激なエロ描写だ、やれドロドロ昼ドラ展開だ、やれ不健全だの言われてはいるけど(ところで「やれ」ってなんだろう?)、その中でこれだけ純粋な幸せを描けるのです。エロくて何が悪い。それが幸せってもんだ。

いかんいかん、つい感情的になってしまった。でも、わりと本心からそれは思っています。少女でもってあえて世の中の醜いものを描き、そんな中でも綺麗に輝く純粋な気持ちがあることを主張する。彼女たちを貶す言葉というのはいくらでもあるのだろうけど、それでも幸せを願う気持ちというものはどうしたって美しいもの。だって瑛編は美しかったでしょう? 『ヨスガノソラ』およびそのヒロインたちにはそれだけのパワーがあるように感じます。

注:もちろんテレビで放送していい/いけないの水準があることは事実で、それは理解しています。MXで放送があるというのは、ちょっと心配。

さて、最後の最後に水を差すというか、今後の展開に水を向けるというか、「概ねハッピーエンド」の例外について。ハッピーの例外はもちろん、わが愛しの穹です。瑛にかけて孤独感をずいぶん演出していました。悠が誰かのために役に立って、それで幸せになるということは、穹にとっては無条件な孤独を意味します。はあ、かわいそう……。

ただ、奈緒とくっつくときだけは穹の孤独感というのも、どうにかできるかもしれない。っていうのも、絶対過去に何かあったじゃないですか、あの三人。だからその辺をうまく乗り越えたら「みんなで幸せ」的なことも可能なんじゃないかと。

ただどうも、次がNS2なので奈緒編、穹編の2話に当たるはず。先にNからやるなら、Sが最後ということだから、やっぱりNでは穹の幸せは描かれないことになるのかな、などと邪推。

でも、「なんとなくハッピーエンド」が「概ねハッピーエンド」になったように、このままだんだん幸せが増加していくんじゃないかっていうことは、本気で願っています。最終目標は「万人にとってのハッピーエンド」。エロゲーでそれは無理だろうと思うのだけど、これまでの話数で見せつけられた制作側の力量からすると、そんなスペクタクルも期待してしまうのです。

完全なオムニバスでなく、「分岐」で描くとなったときに、誰もが不安に感じた「誠化」(伝説アニメ『School Days』より)について言うなら、ひょっとしたら『ヨスガノソラ』は最高の「アンチ誠」になり得るのではないかな、と思います。


他のアニメならこういう幸せを描くいい回があったときは、キャラの心理とかを追っていこうという感想を書くのだけど、今回は他に書きたいことが沢山あったので、それはやめにしました。ただ、瑛が本当の笑顔で笑えるようになっていく過程を見るのはすごく楽しかったです。

ちなみに唯一の疑問点として、なぜバックなのかというところがあったりもするけど、それについて真面目に言及するのは、さすがにどうかと思うので、それもやめにしておきました。

そういえばこの前、大学のレポートを書いているときに、「普段書いている感想の分量って具体的にどれくらい?」と思って貼り付けてみたところ、『ヨスガノソラ』の感想はA4紙で2枚程度のようですね。長い。

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ヨスガノソラ 06話『アキラメナイヨ』 from 本隆侍照久の館 2010-11-16

悠が瑛のもとを訪れた時、彼女はおばあちゃんの日誌を見ていた。 それに何が書いてあるのか。悠は気になるところであったが、それを知られたくない瑛は、その日誌を燃やそうとする。 悠は慌ててそれを止め、そしてそこに書かれていた驚きの事実を知る。

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