アニメの目

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2010秋期
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ヨスガノソラ 第9話 「ハルカナオモイ」

たまらん。辛抱たまらん。なんという穹の可愛さか。

※注:「幸せ」だの「幸福」だの、怪しげな言葉が飛び交っていますが、他にいい言葉が思いつかなかったために便宜上そういう文字で表しているだけなので、そのことはご理解ください。もっと軽く「ハッピー」とか言ってもよかったんだけど、それも場違いな気がするので。

奈緒編(N)と言いつつ、これはずっと奈緒&穹編(NS)をやっていたようなもの。結局のところ、以前のどれかの感想で書いた「だんだん幸せの総量が増えている」ように、各ヒロインルートの結末の「キャラクター総幸福量」みたいなものが増加しています。

今までのぶんも全部読んでくれている人でも、きっと思い出せない人も多いだろうし、もちろん僕がこれまでに何を書いたかなんて知らない人もいるので、くどいようですがもう一度書きます。

「一葉編=一葉の自己満足&悠の性的満足/瑛の我慢&穹の寂寥感」であったのに対して、「瑛編=瑛と一葉の幸せ&悠の満足/穹の疎外感」です。そこに奈緒編を加えるなら「奈緒編=奈緒と穹と悠の幸せ」です。水を差すなら、一葉と一葉父との間のイザコザは解決されていないはずとか、瑛の問題も未解決だとか、ツッコミたいところはあるけど、それも納得はできます。

っていうのも、とりあえず瑛の問題は、みんなでワイワイ楽しくやっている限り、瑛は幸せなのだという仮定を置けば、奈緒エンドで穹と手を繋いだ瑛は幸せで、瑛が幸せである以上、一葉と父親の間に問題は生まれない、という納得の仕方はあるから。

でも、瑛編で描いた瑛の幸せというのとはやっぱり違っていて、瑛にとって最高のエンディングでなかったのは確かなんですよね。ま、「誰かのストーリーを中心に据えながら、他のヒロインにも最高の幸福を」なんてのは現実的に不可能。だからこそのストーリー分岐なんですから。

それでも穹編ではそういうところに果敢に挑んで欲しいなあと、無茶とは承知の上で、なんとなく期待してしまうのです。だって、奈緒エンドはかなり高い水準の幸せを実現しているわけじゃないですか。なら穹編は、それを軽く超えるようなエンディングを迎えるか、あるいはグッとベクトルを変えて「悠と穹だけにとっての幸せ」を描くか、そのどちらかしかないと思うのです。

ちなみに、実質的にほとんど奈緒&穹編でありながら、これが奈緒編として確立している理由は、なんと言っても悠とエッチしたのが奈緒だからです。プールの更衣室、悠の家ときて、最後は野外。

野外! 本当に「そうきたか」と舌鼓でした。はじめの更衣室では見回りのオッチャンに見つからないように箱の中に隠れたんだけど、そこから分かるのは悠が「いけないことをしている」という自覚があるということでした。次、自宅でやってるときに穹が見ていることに気付いたのは奈緒で、悠に関しては穹が戸を開けても気付かない始末。ここから分かるのは、悠が「いけないことをしている」と自覚していないということ。

これは悠の意識としての私的な領域がどこまでなのかというのを表している、ということは、実はこれも以前の感想に書いたことです。その後、穹といろいろあって反省するところもあって、しばらくエッチを控えていたんだけど、夏祭りで爆発。

奈緒編に関しては最後の最後のエロはないと思っていました。だって、もう充分見せたし。「結合」あるいは「結実」としてのセックスは、もう描かないはずだと思っていたわけです。でもバッチリ描いた(短めだったけど)。もちろんファンの期待に応えるという意味もあるんだろうけれど、僕としてはそれ以上に「野外」であることにアンテナが反応しました。

っていうのも、先に述べた「悠の意識としての私的な領域」というところに話を関連付けて、最後の野外が表現しているものは「どこの誰に見せても問題ない幸せ」だと思うのです。もうみんな幸せだから、穹も外の世界に繰り出したことだし、悠の私的領域は町全体まで拡がったということ。

とりあえず、以上が奈緒エンドに関するあれこれでした。以下、奈緒と穹について。長くなりますが、お付き合いいただけると嬉しいです。

さて、奈緒編の最終回ということもあって、奈緒と穹がどれだけ似ているかということをこれでもかと強調してきました。

あからさまだったのは、やっぱりバス停。あそこは女の子の逃げ場。一人きりになって、寂しくて仕方ない女の子が、王子様を待つ場所です。昔、一人で泣いていた奈緒に手を差し伸べたのは悠。でも、穹の場合は穹が望む王子は現れず、なんと憎むべき寝取り姫が登場。奈緒が穹を見つけちまったときは、はははっ、と笑いました。物語はアイロニーでできているのです。

いやいや、そんなことはどうでもいいんだけど、要するに昔の奈緒も、今の穹(昔の穹)も一人になるのが嫌で、バス停に逃げ込んだということです。

だから奈緒は穹が何を恐れているか、分かる。奈緒は悠が東京に出ている間ずっと一人だったのだろうから、一人になることの寂しさも、分かる。でも穹は、奈緒が分かっているということが、分からない(実はこれが穹と奈緒の対立の本質だと思う)。そもそも、自分が何を恐れているのかすら、分かっていなかったのだと思います。

穹とセットにして描かれた扇風機。どうも扇風機というのは悠のメタファになっているらしいのだけど(これも過去の感想から。詳細は割愛 [3話感想])、このアバンで穹は、その扇風機の首振り(すなわち、あっちの女を見、こっちの女を見)を止めて、真っ直ぐ自分だけに風を送るようにしていました。

他の女を見て欲しくない。自分の側にずっといて欲しい。これが彼女の唯一にして最大の願いです。

でも、どうも穹自身がそのことに気付いていたのかというと、微妙。いや、違う。ずっと一緒にいたいという思いはあるし、そのことも、きっと自覚はしていた。でも、何を恐れているから悠と奈緒の仲を邪魔しようとしているのかは、自分でも分かっていなかったんだと思います。

それをはっきりと認識したのが、海水浴。「髪がべたべたする」とかいつものように文句や不満で引きこもった穹だけど、いずれ寂しくなって、海へ。それもおしゃれ着。かなり乗り気。

そこで目の当たりにしたのが、悠が死ぬかもしれないという事故。どうも穹はここへ来て始めて、悠がいなくなって一人きりになるのが怖いと悟ったのだと思います。これを境に、穹の甘えは病的に変化。そりゃそうだ。理由は知らないけれど、両親をすでに失った経験を持つ女の子です。悠がいなくなるというのは、本当に怖い。

たとえどんなダメ兄貴でも、「ここを出よう」とメールしたにもかかわらずバス停を探してくれない、気の利かない兄貴でも、彼女にとっては唯一の存在だから。

でも、それだけじゃない。何かを失うということに関して、全般的に穹は臆病。

その話をするために、バス停に雷ドカーンなシーンに触れます。「エンディングのあれが、まさか本編になるとは」が第一印象だったのだけど、あれって意味合いとしては多面的だと思います。

まず、穹の逃げ場がなくなったということ。待っていても王子様は来ないということ。

次が、奈緒に関することで、これがまた二面的。火の中に取り残された黒ウサギは、あれもまた悠のメタファ。いつもギュッと抱いていて、ときどき乱暴に扱う、悠の分身です。それを奈緒は、まさしく命がけで助け出してくれるのです。それが意味することは、奈緒が悠を奪う者ではないということ。奈緒も、誰かを失うのが怖い、一人きりは寂しいと思う女の子であるということ。

火の中に飛び込んだ奈緒を、外で呆然と待つしかない穹。そのときの気持ちはきっと、喪失に対する恐怖。もちろん、黒ウサギだけでなく、「奈緒ちゃん」を失うことが、怖い。

雷の家事がもたらした三面の影響が、穹に革命を起こしたわけです。まずは悠からの自立(自律)を被強制。それから奈緒が自分と同じであると、分かる。分かったら、奈緒を失うことが、親や悠と同様に怖い。

穹にもたらされた革命の結果が、「隣のお姉さんを呼べばいい」です。悠の私的領域ではなく、私と悠の私的領域だと主張した家に、奈緒を招き入れるのです。甘えかたが、健全になった。一人では自転車を転がすことだってできないような子なんですから。

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