アニメの目

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2010秋期
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STAR DRIVER 輝きのタクト 第11話 「サイバディの私的活用術」

サイバディにはこういう使いかたもある。利用法というよりは、やっぱり活用法。

おとな銀行、再来! それにタイトルが、妙にビジネス書、スキル本の類のように見えて、どこかおかしい。でも、この表面だけを的確に言い表すようなサブタイは、おとな銀行には似合っているのかもしれない。

ということで、もう1週半ほど経ってしまっていますが、今さら感想。年内には年内のアニメを見てしまいたいので、ピッチを上げます。大人ではないのに、年末は忙しいものです。

今回は、サイバディの意味するところがこれまでのケースとは全く違うことと、タクトサイドと綺羅星サイドをひとまとめにして、それをまた二等分するような新しい線引きがありそうだということを書きます。

ひとつめ、サイバディの意味的位置。

伊達に「私的活用術」と言っているわけでなく、今回のサイバディの扱いかたは、これまでと様子が違っていました。これまでサイバディは、サイバディ自身あるいはサイバディによる第一フェーズの能力でもって、「学園」(青春)なるものを阻害、侵略するものとして描かれてきました。マーメイドールのオンディーヌがその典型例。

それに唯一対抗していたはずのタクトのタウバーンですら、実は奪う側として機能していたということもあって[6話感想 ※長文]、やっぱり「ロボット」要素は「学園」要素にとっての侵略者にしかなり得ないのかもしれない。とか思っていたところに、タクトとスガタのサイバディガチンコバトルがあって、あれ以降ふたりの仲が元に戻ったのだから、やはり希望はあるのかもしれないとか、右往左往していたところに、この「私的活用術」です。

3話「おとな銀行」の段階で、「なにやらずいぶん学生らしからぬ集団」という印象だった彼女らは、いわば「非青春学生」の先駆けでした。ガラス越しのキスに代表される彼女らの振る舞いは、やっぱり子供らしくない。少しおかしな「青春」を楽しんでいるような、そんな感じでした。

シモーヌはカナコ・ワタナベに従っているフリをしながら隙を窺うような、強かで野心のある女として描かれました。でも、シモーヌをあんな風にしてしまったのは、サイバディのせいではなかった。

まず、これがひとつ特別なポイント。これまでの綺羅星メンバーは、サイバディありきで「非青春」へと転がっていたはずなのに、シモーヌは違う。シモーヌはサイバディとは関係なしにカナコを憎んでいたのだから。まず憎んで、それからカナコに仕えるようになったんですから。

じゃあサイバディがシモーヌにもたらしたものはなにか、ということを考えてみる。

シモーヌの意識が戻らないために泣き続けたシモーヌ母を見て、カナコがアプリボワゼさせたと言っていたけど(「あれ? サイバディにはそんな効果もあったの?」と思ったけど、まあいいや)、つまりそういうこと。サイバディをシモーヌおよびシモーヌ母を助けるべく活用したという新しいパターン。

それによってシモーヌが得たものは、生きがいと気になる男の子。

まずは復讐のためにカナコのもとに潜り込んだはずが、いつの間にかそんな彼女を部分的に認めるようになり、さらに言えばいつだって見つめるようになり(ミズノ曰わく「いつも見てるのは好きだから」)、要するにカナコのことを尊敬し、好意を抱くようにすらなったということ。

きっとこれからは、復讐の下克上を目論見ながらではなく、もっと純粋な気持ちで仕えてくれるようになるだろうと思ったりもしています。

それと、シモーヌがタカシを好きなのって、どうやら結構真面目な話らしいのです。サイバディによるふたりの共闘は、それはそれは相性がよかったらしい。

そういうことを考えると、シモーヌがサイバディとアプリボワゼして目覚めたことで得たものというのは、尊敬に値する同い年の女の子、それから好きな男の子。いやあ、見事な青春じゃないですか。サイバディが青春をもたらしたという点で、これまでの綺羅星連中とは違うのです。

タクトとスガタの仲直りにサイバディが一役買ったのは、実はそもそもサイバディがもたらした弊害によって険悪になっていたふたりが仲直りの過程でサイバディを使ったというだけで、そう考えると極めてまっとうな展開でした。つまりプラマイゼロ。

それがシモーヌに関してはプラスしかないわけです。そういう点で、これまでの『スタドラ』のいずれのサイバディとも意味するところが全く違う、正反対であると言えそうです。

ここのところ、「学園」「ロボット」が入り乱れております。前回も綺羅星側からタクトら美少年に向けた恋愛ベクトルが伸びていて、だんだん境界線が面白く変化してきたと書いたところだけど、このサイバディのシフトチェンジもその一環かと思われたり。

さて、境界が曖昧になるついでに、第二トピック、新しい線引き方法について。長くなってきたので手短に。(最近はだいたい毎回こんな事を書いているような気がするのだけど)

ことは「才能は意味があって神様が与えた」「出たがっているものは出せばいい」という、スガタとヘッドの合意に始まるわけです。もちろんヘッドが出したがっているものがサイバディだとは、スガタも知らないのだろうけど。

要するに「あるものは利用する人」と、「あるものでも出し惜しみする人」に二分できそうだということ。

「あるものは利用派」はスガタとヘッドの他に、タカシも含まれそう。だって実はタカシには印があるらしく、つまりはタクトやスガタと同じように、電気棺なしでアプリボワゼできる人らしいのです(3話のラスト)。それなのに先の戦いでは電気棺を使い、今度の戦いではシモーヌを使った。どうも、目の前にある道具は全部利用しないと気が済まないような人種なのかも。

それに対して「出し惜しみ派」はタクトとか。もともと二刀流なのにしばらくはずっとスターソード一本で戦っていたじゃないですか。それに、彼については絶対にまだまだ「出していない部分」がある。

で、そのタクト側にマッピングしたいのが、カナコとシモーヌ。カナコはずっとシモーヌを守り続けてきたのだけど、それを全く表に出さない。出さずにシモーヌがアプリボワゼするのに反対する。頭取として利用できるものを利用しようとするなら、部下はいくらでもけしかけるべきなのに。

シモーヌが本当のことを知ってからでも、「そのシチュエーションがロマンチックだから」なんていう言葉で、本心に一枚のベールをかけるのです。

それに対して、シモーヌも「やっぱり大嫌いだ」と、本当は大好きなはずなのにひとつ距離をとる。

とにかく、最近はタクトに同調しうる綺羅星メンバーが現れてきて(それに、カナコとシモーヌといえば「非青春学生」の先遣隊だった)、どうも「ロボット」「青春」の境界線だけでなく、「綺羅星」と「反綺羅星」の境界も曖昧になってきているのです。

ああ、交ざり合ってきた。面白くなってきた。やっぱりピシッと二分できる世界というのよりも、その境界がどこにあるのかわからないような世界のほうがおもしろい。

そんなこんなで次回は「ガラス越しのキス」。まだそのネタ引きずるんだ、とか思ったけど、これはカナコにとって本心を包むベールのことかもしれないと、期待。次回、カナコの本当が露わになる!(なんかエロい)

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