アニメの目

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2010秋期
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ヨスガノソラ 第11話 「ソラメクフタリ」

この感想は難産であった。感想に詰まってアニメを見直すということを、おそらく1年以上してなかったのですが、これに関しては3回視聴と4回の没記事の上に、この感想記事があります。が、頑張って練りだしたからと言ってそれがいいというわけではなく、まだまだ表現し切れていないなあと、力不足を実感する出来です。

没記事ではなにについて書いていたのかというと、穹と悠の行為を自分なりの価値観で評価してやろうと試みていたのだけど、どうやっても結論らしい結論に辿り着けずに(「分からない」なんて言うところにもいきつかなかった)、断念しました。

ということで、いつも通りにキャラの心情を追っていくというような形で書き直すことにしたわけです。

さて、ストーリーとしては、実は全く新しい展開も転機もなく、ただ順当に二人が「空めいた」というだけの話です。ただその過程で、大きな境界線を踏み越えてしまっていて、そこが非常にやっかい。今までは影を潜めていた「禁忌」の二字がやたらと主張し始めるのです。

まずデートの待ち合わせ。どう見たって初デートと全く同じ服なのに、「その服、可愛いね」って、それは悠の奈緒への興味の浅さの演出としてはあんまりじゃないか。いや、キャラデザとしての服レパートリーがあれだけしかないからという、メタな事情を汲み取るべきだったのかな。

でもま、いずれにしても悠はデート中ありとあらゆるものから穹を連想してしまって、全く心ここにあらずです。でもきっとそれはやむを得ない。悠が穹のことを好きなのは今に始まったことではなく、もっと昔、子供の頃からなんだから。

呪縛と言っていいレベル。それはやっちゃいけないと分かっていながら、どうしても頭から引きはがすことができない「妹」という存在。

でもどうして今? ずっと昔からなのに、その煩悩が今になって特に激しくなっている理由はなに?

ということを考えると、やっぱり体なんでしょう。すなわち肉欲、性欲。自分の体が男性になり、穹の体が女性になると、その欲は抑えきれなくなる。

でも、それはやってはいけないこと。だから奈緒と付き合うのです。理由は簡単、そこに奈緒がいたから。自分の欲の捌け口になり得るから。

デートの最後に無理矢理ホテルに連れ込んで云々というのはまさしくその表れです。

ちょっと関係ない話になるんだけど、このときの奈緒の反応はあまり好印象でない。奈緒は実は悠が穹のことを好きで、そのベクトルを無理矢理曲げた先が自分だということに気付いているらしいのだけど、そう考えるとあの拒絶は当然? いやいや、奈緒はかつて同じように自分の都合で悠を押し倒しているわけじゃないですか。

自分が昔したことを棚に上げて人を拒絶するというのは、なんというか人として小さい。奈緒編で穹を受け入れた寛容さは感じられないのです。

でもま、それも当然かな。奈緒編では悠は奈緒の体に溺れてくれたのに、今度は奈緒が離れゆく悠に対して不安を感じているのだから。「ああ、わたし、愛されている」っていう感情はいわば無敵で、人はいくらでも「優しく」なれるのです。

無敵って表現はまさしく今の穹にピッタリ。いつも不満(不安から来る)を漏らし、いろんなものを睨み、家から出たがらなかった穹からは想像もできない、アクティブな新妻っぷり。きっと悠の体は食べると無敵状態になるアイテムかなにかなのです。

でも、カービィにせよ、なんにせよ、無敵状態というのは意外と周りが見えない。穹は理由もなく本当になんでもできる気になっているように思えるわけです。それで突っ走る。今まで感情も欲も抑圧されていただけに、その爆発は大きい。

「私たちは特別」? 「お互いに好きだからいい」? 傍から見たら暴走にしか見えないこれも、穹は本気なのです。そして、それにあてられて悠もわりと本気なのです。

「たとえどんな恋愛でも、禁忌は禁忌、認められない」なんて頭ごなしに否定する気にも、「ふたりの愛が~」云々の賛美でもって肯定する気にもなれない。もっと前の段階の問題だと思います。

つまり、ただ欲に溺れてしまっただけではないかというところ。じゃあ、そういうふたりを否定するのかと考えると、どうもそれもできそうにない。だって、「これをしたい」「あれをしたい」という選択を行ったふたりを否定するだけの根拠が自分の中にないから。

実はこれが、この感想を4回も書き直す理由になった泥沼蟻地獄なのですが、借り物のオピニオンで悠と穹を理解するべきではないし、そもそもそれでは理解できないはず。

実はふたりも倫理という一般論を知ってはいるのだけど、それはふたりの外側にあって、それに対して「好き」って感情や欲はふたりの内側にあるのです。だから倫理は彼らの歯止めにはなり得ない。(ちゃんと消化して、自分の内に取り込むことができたらそれも役に立つのかもしれないけど)

だから委員長とかが外側から言う一般論は、常に内側を見ているふたりの耳には入らない。そうである以上、さらに外側から見るしかない視聴者が、「近親相姦が~」みたいなことを言うのはあまりにお門違いです。(もちろん、企画者や制作スタッフに向けてのメッセージなら、それはすごくまっとうですけど)

だから視聴者は、彼らを肯定するにせよ否定するにせよ、それに足る理由を自分の内側に持っていないといけないと思うのだけど、僕にはそれがない。だから何とも言えないのです。

感覚的には、彼らの行為を肯定できない。ただ、エロはいいんです。全然問題ない。生物は須くエロいもので、それは当然だから。それから社会的一般論というものを使うのはどうも意味がなさそうだということを、上で書きました。ただ一点言えることは、「ダメと分かっているのにやってしまうのはよくない」ということだけなんだけど、それなら無敵キャンディの穹のように開き直ってしまった人に対しては、それをNOという術がない。

彼らが自分の中の「好き」って感情、それから性的な欲求にとことん正直になっているのを否定するなら、自分もこれと信じるものを持ち出すしかないのだろうけど、どうもそれだけの根拠を持ち得ない。だから手詰まり。そんな感じです。

まあ、それだけ難しいのです。

もう完全に内側を向いてしまったふたりにとって、唐突にドアを開けた委員長と奈緒が、なにか新しい風を吹き込ませてくれるのか。あるいはふたりはずっと内側だけを見て終わるのか。せめて最終話ではなんらかの結論に辿り着けるように頑張る。

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