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2010秋期
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STAR DRIVER 輝きのタクト 第12話 「ガラス越しのキス」

カナコ☆オンステージ

カナコがタクトを表現して口にした三度の「単純」という言葉について。

「ガラス越しのキスはありか」→「顔が見えているから普通のキスと変わらない」→「それなら目を閉じたら?」→「目を閉じたらガラスに口を付けているのと同じかな?」

こんなやりとりをして、カナコはタクトを「単純」と言います。カナコとガラス越しのキスという行為についてはまた後で書くことにして、やっぱり目を引くのはタクトのロジックの明快さ。カナコはこの単純明快なタクトの考え方に惹かれます。

っていうのも、カナコはそう「単純」には生きてこられなかったから。

どうもカナコが全サイバディの所有権を主張しているというのは、全て良識ある人間が管理しなければならないという使命感から来るものだったらしく、綺羅星が「旅立ちの日」を迎えたときに混乱が起こらないように奮闘していたそうなのです。

こういった事情を知らないタクトは、夜道、頭取として接触してきたカナコに対して「女の子を拉致するようなやつらの言うことは信じられない」と、これまた単純な論理でそれを退ける。

確かに単純ではあるんだけど、ちゃんと自分の価値基準に従った判断を行えているというのは、やっぱり面白い。半分だけ大人の世界に足を踏み入れてしまっている「おとな」であるカナコの目には、その姿はひどく愚かにも見えただろうけれど、その反面、そういうふうに生きてこられなかっただけに羨ましくもあったはず。

最後の「単純」は、ガラス越しのキスと見せかけて本当にキスしちゃったあとの、とても嬉しそうな「ほんと単純」。

このことについて書く前に、少し回り道の脱線をします。

タクトが毎回サイバディのバトルで綺羅星の誰かからスタードライバーの資格を剥奪し続けているのだけど、ここのところその意味合いが少し変わってきている。というのも、綺羅星のスタードライバーにとって「単純な敗北」ではなくなってきているように感じるのです。

前回のシモーヌの件は、その敗北がシモーヌから「復讐」という重荷を取り払い、自分がカナコを慕っているという事実に気付かせる役割を果たした、という見方もできるのだけど、今回のカナコの件も同じように言えそう。

実は凄腕ボクサーだったらしいカナコは、おそらく負けるなんてことを知らなかった。タクトが思っている以上にすごい人だと、シモーヌは言うけれど、おそらく世界の大富豪が認めるほどに「すごい」んだと思う。

普通の学校にも通ったことがなかったというように、球技大会の野球でもノリノリで、実はそういう生活をしてみたいんだけど、自分は特別に能力が高いから(これは自惚れでも何でもない)、サイバディの管理という「使命」があると感じるのです。

タクトの新技回転パンチはそれを見事に取り除いた。カナコに初めての敗北を与えて、そんなに一人で頑張らなくていいということを分からせた。――あ、いや、そうじゃない。タクトはそんなこと知らずに、「単純」に綺羅星のサイバディを一体ずつ破壊しているだけなのだけど、タクトに負けたことでカナコはそう感じたはずです。

つまり、「ロボット」サイドにどっぷり浸かって奮闘していた一人の美「少女」を、「学園」サイドにグッと引き寄せた。その象徴が、最後のガラス越しでないキスだったのだろうけれど、ああ、しまった、まだカナコとガラス越しのキスについて自分がどう思っているか書いていなかった。

段取りが悪くて申し訳ないです。これから、カナコとガラス越しのキスという行為について書きます(ていうか最近、下書きもなし、構想もなしにとりあえず感想を書き始めていることがバレバレな気がしてきたぞ)。

ガラス越しのキスっていうのは、シモーヌも言うようにカナコが学園生活に不慣れであって、場違いであるということを象徴する行為なのかもしれない。そこには当然、学園生活への憧れという気持ちがあるのだけど、反面、自分はそんなことをしている場合じゃない、自分にはやらなきゃいけないことがあるという気持ちもあって、その板挟みの結果が「ガラス越し」なる中途半端な行為になっているのでしょう。

ただ、それだけではないような気がする。っていうのも、ガラス越しのキスって要するに誰ともキスしていないわけじゃないですか。これはタクトの理屈とは正反対で、僕個人の理屈なんだけど、目を開けていようが、事実としては誰ともキスしていない。

「ガラス越しのキスっていうのはカナコの孤独の象徴でもあった」と書くと、それは「学園生活に不慣れ」に含まれるからシモーヌの意見だけで充分だろうと言われそうだけど、ちょっと違う。確かに共通部分は持っているけど、ちょっとだけ違うと思うのです。

要するに独り相撲だったんです。やっぱりこういう扱いをされてしまう最初のザコキャラくんは全く手を出すこともできずにカナコに瞬殺されたけど、カナコが生きてきたのはそういう世界。誰かとボクシングするとは言っても、それは全く勝負になっていなくて、一人でリングに立っているも同然だったはずです。

それはボクシングだけに限らず、経済方面の才能にも言えることで、(少なくとも同年代では)誰も彼女の相手になる者はいなかった。つまり、誰もカナコと唇を重ねられるような男はいなかったのです。

それがガラス越しのキスの正体のひとつ。

もちろんシモーヌが言ったのだって本当だし、あるいは前回の感想で書いた、本心を隠すベールを象徴しているというのも本当だと思います。というか、そのいずれもがカナコという一人の少女から派生しているもので、全く別個のものではないんですけどね。

ここで話はタクトとのガラス越しでないキスに戻るのですが、カナコはタクトに敗れて、ガラス越しでなく直にキスをできる相手を見つけたということ。カナコは解放されたということ。ま、要するに惚れたってことです。

かくしてタクトの「青春の一大イベント」はカナコに持っていかれたわけだけど、うーん、面白い。次はベニオ話らしいけど、これだけの人間を並列につないで物語を作っているのに、ちゃんと描けているというのは素直にすごいと思うのです。

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