アニメの目

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2011冬期
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魔法少女まどか★マギカ 第7話 「本当の気持ちと向き合えますか?」

まどマギが極めて内向性の強い、というか内向的なベクトル要素しかもたないアニメだと言うことが分かってきた。

奇跡を祈れば世界が変わり、世界が変われば誰かが傷付く。そして誰かが傷付けば自分が傷付く。この当然の帰結は魔法少女であれば須く言えるもので、さやかも、杏子も、ほむらも、もちろんマミだって例外でない。その痛みから自分を守る手段が身心分離に象徴されるような、心を麻痺させて痛みを軽減するという方法です。

さて、前回は魔法少女各々について「誰も間違っていない」ということを書いたのだけど、今回はその痛みからのエスケープ法について。ある意味では「全員間違っている」という内容です。

さやかの追い詰められかたがやばい。「きみの魂はもう体にはないんだよ」と、さやかの言葉によるところの「ゾンビ」宣言がなされ、魔法少女になったことを激しく後悔。自身、後悔はないと言っていたけど、これに関しては間違いなく大後悔しています。

でも杏子の話を聞きながらちょっとよく考えてみる。なぜ後悔したのか。それは「こんな自分では恭介に愛される資格がないから」だと。さやかは、ここでふと立ち止まる。それっておかしい。奇跡も魔法も他人のために使うマミさんの正義を継ぎ、自分は魔法少女になったのだから、どんな魔法でも自分のためになっちゃいけない。

そもそも恭介に奇跡を願ったのは、恭介が元通りにバイオリンを弾ける、幸せな生活に戻るため。そのことによって自分が愛されたいとか、そんなこと、考えちゃいけない。考えるはずがない。だから、魂をソウルジェムに抜き出されて、抜け殻の体になったとしても、後悔なんてない。あるわけがない。

これがさやかの思考。マミさんに対する強烈な信仰と責任があるから、杏子に「自業自得で生きればいい」と言われてもNOと言える。「あんたのことは誤解してた。でも、私は自分のために魔法を使うつもりはない」

でもここでNOと言った対象は実は杏子だけでなく、自分自身に言い聞かせた言葉でもあります。自分のための魔法を否定する。自分の正義、マミさんの正義を信じる。杏子の話は今の自分を客観的に見つめるいい機会になって、それがマミさんの正義からいかに離れたものかを知ることに繋がったのだと思います(ただし、「マミさんの正義」というのが全く客観的でなく、主観主観しているのだけど)。

でもやっぱりだめ。杏子モデルで自分を客観視できたはずなのに、恭介を見るだけで感情的になってしまうのです。そこへ来て仁美。「明日告白する」宣言。本気で恭介を好きなのか、さやかにハッパ掛けたくてそう言っているのかは量りかねるけど、そんなことはさやかには関係ない。

絶対に感じちゃいけない後悔をします(それはマミさんの正義という意味であり、普通に考えたらこの後悔は至極当然)。「仁美を助けなければよかった」

一つ、他人のための魔法の最高の実績である「友達を救えた」を自身が否定したこと。二つ、絶対にしないと誓った「自分のための魔法」を考えてしまったこと。

そんな後悔をしそうになった自分に後悔して、それがさらに後悔を生む。完全な悪循環。マミさんの正義を掲げる以上、絶対に抜け出せない蟻地獄です。まどかが側にいるだけではどうしようもない。本当に、まどかがしてあげられることはない。

で、壊れた。精神負荷に耐えきれなくなって、あらゆる心の痛みをシャットアウトした。これがさやかのエスケープ法。

杏子は似ているようでかなり違う。境遇は同じ。誰かのために願っても、自分のためにはならない。それどころか、他人のためにすらならない。そういう現実の痛みから自分を守るため、自分のためだけの魔法、自業自得の生き方に逃げ込むのです。

さやかとは分岐が違うだけ。でも、分岐が違えば感じる痛みが全く逆になるというのは皮肉な話。同じように悩み、傷付いてきたはずの杏子の言葉がさやかに受け入れられないのは、今現在感じている痛みが全く異質のものだから、かもしれない。

というのも、杏子の痛みは「どうしたって他人のことを考えてしまうし、他人に優しくなってしまう」からこその痛みです。つまり、なんとかしてさやかの痛みを取り除いてあげたいと思うのだけど、それを望むのだけど、自身のポリシーとして他人のための魔法は禁じている。みんなが「自業自得」になればいいと理性レベルで信じながら、行動レベルではさやかにおせっかいする。この矛盾が杏子の痛みの本質です。

対するさやかは、他人のための魔法を掲げながら、気持ちの中では「自分のため」を考えてしまうという矛盾、というか現実への絶望が痛みの原点。だから杏子とさやかの痛みは、その発生源という意味において真逆なのです。

ほむらのエスケープ法は観念。どうすることもできないのだ、と頭で理解して、頭からのトップダウンで全部押さえつけてしまおうとする。でも、ほむらに関しても矛盾点はあって、唯一どうしても諦められない存在としてまどかがいることです。

そのまどかはと言うと、極めて子供。キュゥべえシステムに対する不満の表出も、実に子供っぽい。だいたい、苦しいときはほむらに甘えて、でも、ほむらに「どうすることもできない」と言われると、(あれだけ優しくしてくれているのに)「どうしてそんなに冷たいの?」となる。

さやかを「一人ぼっちにしたくなくて」というのは、まどかの優しさではあるのだろうけど、実は自分から離れていって欲しくないというだけのこと、という見方もできる。まあ根底にはマミさんの喪失という、あまりに重いものが横たわっているのだけど。

つまり、まどかのエスケープ法は、自分のせいではない、誰かのせいにするということ。

ということで、それぞれ全く別個の痛み避けを絶賛実行中。で、冒頭で述べたように、全部間違っていると言えなくもない(もちろん、そうなるに足る理由があるわけで、頭ごなしに否定できるようなものではないのだけど)。

だって痛みって必要なんですよ。自分を知るのも、他人を知るのも、全部痛みでもって知覚する。本当の気持ちと向き合う、というのが、実は今の魔法少女たちがスパイラルから抜け出す唯一の手段のように思います。それはすごく辛いことで、痛いことだけど、その痛みの中に自分はある。ソウルジェムなんかに、自分はいない。

苦しいことから逃れるための「マミさんの正義」も、「自業自得」も、「観念」も、いずれも次なる痛みを引きずり出してくるのだから。

痛みを完全にシャットアウトした人って、つまり最後の狂ったさやかの状態です。とても人の心が底にあるとは思えないありさまです。

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