アニメの目

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2011冬期
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放浪息子 第6話 「文化祭」

うける、笑われる、面白かったと言われる。それは男が女役を演じているというネタ性から受け入れられたわけで、ジュリエットとしての有賀誠を見てもらえたわけじゃない。

おおよそは成功と言えたかもしれない文化祭の倒錯劇は、やっぱり各々の思惑、願望とは違ったところに落ち着いていて、その意味では大成功とは言い難い。

例えばにとりんにジュリエットをやって欲しい一心で倒錯劇を提案したさおりんは、ロミオ役を引き当てるも、ジュリエットはまこちゃん。それにまこちゃんの願望に関しても、お客さんにジュリエットとして見られたいという願いは叶わなかったわけで、個人レベルで見れば成功とは言い難い。

ただ、すごくハッピー感が強い。さおりんはまこちゃんの頑張りを認め、花を贈る。まこちゃんは、お客さんにこそ笑われたけれど、笑わずに認めてくれる人がいることを嬉しく思う。

世界中の人に理解されたいわけじゃない。誰か一人でも自分のことを分かってくれている人がいれば心強い。そういうことは前回の感想でも書いたことだけど、つまりはその集大成的な、ひとつのクライマックスだったのだと思います。悩みを重く描きすぎずに、少しほっこりできるようなエピソードでした。

しかし、印象としてはやはり幼い。文化祭前に「具体的」という言葉が一つのキーワードに挙がっていたけれど、今回の倒錯劇というのは抽象的な願望の抽象的な露出に他ならない。つまり、具体性なんてない。フィクションの世界で仮想的に自分を重ね、ごく限られた人に認知されればそれでOKというようなことしかやっていないのです。

誤解されないうちに自分でフォローしておきますが、別にこれは否定をしているわけではないですよ。放浪息子というのはそこを淡く描き出すものだと理解しているし、中学生というのはそういうところに一生懸命なのが可愛らしくもあるから。

ただ、演劇が終わった後の、拍手をブチ切るような暗転カットは、やはりそういうことを意識して入れられたと思うから。つまり、子供のお遊戯はいつまでも続くわけではないのだということ。いずれは具体的に大人になっていかないといけないのだから。

しかし変化というのは如実に見受けられます。今回はやはりさおりんとまこちゃんに主だった成長が見られました。

さおりんは、ちーちゃんの誘いを受けておばけ屋敷に入ったり、あるいは劇の後にまこちゃんを励ましてあげたり。いらない言葉が多いメガネに貰った花束だったのだけど、そういうことは伝えずに、ただ、「あなたをジュリエットと認めた人がいる」と、これまた自分とは言わずに渡す。メガネの駄目なところ、それに対して、気配りができるし、いらない言葉を口にしないにとりんのいいところをちゃんと自分のものにした上で、自分なりのやりかたでまこちゃんを励ましたわけです。

こういうのって、文化祭で他人と触れ合うことをしなければ身につかないものだと思います。大人とか子供とか関係なく大切なことだとも思います。

別に成長がテーマではないと思うけれど、中学生なんだからどうしたって成長するのです。それを見つめるのはやはり楽しいし、なんだか嬉しい。

ちなみに本来の主軸であるはずの「性」という問題に立ち戻ってみると、中学生になって別々の制服を着る、別々の部活に入る、胸が膨らむ、変声期が訪れるという形で男女の分岐を描いてきた中で、恋愛感情でない純粋な信頼関係という意味でさおりんとまこちゃんが結ばれたというのは面白い結末。性差なんてない。当然だけど、そういうことだってあるんです。

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