アニメの目

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2011春期
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花咲くいろは 第7話 「喜翆戦線異状なし」 感想

前回、6話の段階の総括としては、物語の場としての喜翠荘、主人公たる緒花、それらの中心に据えられている家族というモチーフについて簡単にまとめたのだけど、後半、7話もそれは確実に継承されているのかなあ、という感じです。

ん? まったく難しいことを書いているわけでもないのに、なんだか難しい言葉を使ってしまった。

つまるところ、どんなお客さんが来ようが舞台は喜翠荘で、緒花を含め、疑似家族のようなものである喜翠荘従業員が主役。フォーカスされるのは常に喜翠荘の人間関係で、そして今回のような「非日常の提供」は、実のところ全くの「異常なし」なのです。

巴さんの話でした。巴さんが喜翠荘をやめようかなあと悩み、可愛い後輩のために一暴れしてからやめてやろうと思い、結局それが大ウケしてしまって仲居の楽しさを再認識してしまうというお話です。

こういうの、好きだなあ。ひと言で表現すると「しっかりしたコメディ」だと思うんです。一切の人間性を度外視しないで、むしろその人らしさを取り入れた結果の、良質のコメディ。

仲居頭の巴さんがやめようとするなんて、これはどう考えたって「喜翠戦線異常なし」ではない。このことに気付いたのは女将さんだけで、他の従業員はそんなこと想像もしない。緒花が知ったら、きっと徹さんのときみたいな大騒ぎになっていたに違いないですが、とにかく緒花は気付かない。

だから、全てが終わったあとに、喜翠荘に残ることを決めたら(これを促す女将さんの「現場指揮官ともどもお待ちしております」と、巴さんの「またのお越しを」というセリフは非常に象徴的でいい)、最後には「喜翠戦線に異常ありません」と笑って「いつも通り」に戻れるのが、見ていてすごく嬉しい。

これは花いろの特徴だと思うんだけど、物語は徹底して喜翠荘の内部を描写し続けています。より正確に言うなら、喜翠荘の人間を描写し続けています。

明確な事件性を持つエピソード(次郎丸さんの原稿消失など)から、ちょっとした思春期の甘酸っぱ(主に民子周辺)まで、あるいは、外部からの人を招いてのエピソード(経営コンサルのなんとかさん)、完全に内輪だけのイザコザ(いろいろ)まで、分類としてはいろいろあると思うんだけど、結局なにを描いたかというと、喜翠荘の人々と、それを地理的に、時間的に包括する喜翠荘そのものだと感じます。

だから、視聴者の視点として、巴さんがその喜翠荘を離れることを決意してしまったのは寂しいし、その後のコメディ的展開で先が読めてしまう感じはすごく安心感がある。サバゲーの人々が巴さんに対して整列した時点で、「ああ、こういう展開だ」と分かってしまって、それ以降は緒花たちと一緒になって巴さんを応援できる。

こういう感覚って、つまり自分は喜翠荘の内部に取り込まれてしまっているからだと思います。これは喜翠荘という場を離れずに物語を作っているからこその効能で、視聴者は気持ちを喜翠荘に飛ばして、気持ちだけは喜翠荘の内部にある。そういう、ある種の幻覚です。

視聴者の視線を「なにが起こるのか」や「どういう客が来るのか」といった事柄でなく、単純に喜翠荘の人々に集めることで、テレビの内と外をぐっと近づけてしまう物語の作り上げかたは、なかなか見事なものだなあ、と。

だからこそ、「異常なし」という言葉がすごく嬉しいと感じるのかも。

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