アニメの目

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2011春期
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あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 第7話 「ほんとのお願い」 感想

花火を作ろうとしたものの、なにかと不自由。夢を描いて、夢で飛んでいけた5年前と違って、いろいろ現実を知ってしまったぶん、かなり不自由な現在。なんだけど、お互い「じんたん」「あなる」と呼び合って頑張るのは懐かしくて楽しかったりもする。

まあ、たかが高校生です。家出するなんて言っても、それはどう考えても「現実的でない」。花火を作るには火薬を取り扱う資格が必要で、人にお願いするのにはお金が必要。

結局、なにもかもが不自由です。なににも縛られることなく、超平和バスターズなんてアホな名前になんの疑いもなく胸を張っていた頃と、現在との差は、不自由さでしょう。じんたんも、あなるも、自分の体ひとつ持て余しているのです。

ただ、その不自由さというのは実は決して嫌なものではなかったりもする。なかなか5人全員が集まるということはなく、それぞれにはそれぞれの大切なものが他にある。それでも、じんたんのことを会話のダシに連絡を取り合うつるこは楽しそうだし、一緒にバイトできてあなるは嬉しい。

ふたりとも、死んでしまった最強のめんまを相手取って、「意中の彼争奪戦」をもんもんと続けている乙女なんだけど、なんかそれが楽しそう。うまくいかないとか、思い通りにならないということ、夢みたいなロケット花火は打ち上がらないという現実を理解・肯定できるようになってきた彼女たちにとって、その感覚はひどく新鮮で、楽しいものであるように感じます。

そういう楽しさは、当然じんたんやゆきあつにも伝わっていて、不自由でも誰かとその不自由を共有できるというわずかな楽しさが、今の超平和バスターズには芽吹きつつある。

現実を知ってしまって無力な高校生だけど、群れてみると、意外となんだってできるような気がする。5年前の無敵感を取り戻せる。

そして、めんまの喪失感も含めて、彼らを取り巻く不自由さを誰かと共にあることで乗り越えようとする若者に対して、めんまのお母さんです。喪失感は決して癒えない。世間の不自由さに絶望してしまった大人です。

超平和バスターズにとっての最初の不自由は、きっとめんまの死だったはずです。いや、そのひとつ前かな。誰が誰を好きとか、そういう個人的な感情は5年前でも不自由で、それが形になってしまったのがめんまの死なんだと思います。

世の中には自分たちの思い通りにならないことがある。ロケット花火を寄せ集めたみたいな花火は危なくて飛ばせない。めんまの死を乗り越えることはできない。不自由を知って苦しんだ5年間、という見方もできます。

でも、そういう不自由の中で頑張るということ、楽しさを知りつつある彼らが最後に出くわした不自由が、「不自由に絶望してしまった大人」という壁なんでしょう。

めんまのことを忘れることはできないと思いながらも、めんまのために汗を流してバイトを頑張ることで、その不自由に向き合うことで逆にめんまを遠ざける(実際、じんたんとめんまが一緒にいる時間はどんどん少なくなっている)ことができるじんたんと、毎日仏壇に手を合わせるめんまママの間には、大きなギャップがあります。

じんたんは、言葉は悪いけれど、めんまを過去にしようとしているのです。成仏させて、自分の気持ちも整理を付けて、めんまのことを思い出にしてしまいたい。

めんまママは、きっとめんまを思い出になんかしてしまいたくはない。たぶん、一生めんまの仏壇の前に座り続ける。

じんたんとしては、めんまママの気持ちが分かる。じんたんも、めんまを成仏させようというぽっぽの意見について、かなり悩んだから。だからこそ、めんまママという不自由はそれだけ大きな存在になる。

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