アニメの目

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2011春期
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あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 第9話 「みんなとめんま」 感想

終わりが見えてきた。今回はゆきあつの頑張りで花火の了承が取れて、めんまの成仏に向けて一歩近付いた感じ。ふたたびめんまがいなくなるという予感に、なんとなく、みんなそわそわして落ち着かない。

たぶん本当に微妙な変化なんだけど、やっぱり各々が当然の反応をしていているから、余計に生々しい。

みんなが「めんまの死」(めんまがいなくなること)を同じに考えてるはずがなく、それぞれの事情、それぞれの立場から、ふたたび起ころうとしている「めんまの死」に応対している。

ゆきあつは、めんまを過去にしたくて頑張っている。ずっとめんまのことを考えて過去に生きてきたけど、それを終わりにしたい、と。

でも、それがゆきあつの本心かというと結構微妙なところがあって、たとえばゆきあつにもめんまが見えていたらこういうことにはならなかったはずです。結局、ゆきあつが乗り越えたい過去って、じんたんにしか見えないめんま、じんたんにとって特別なめんまと、めんまにとって特別なじんたんなんだと思う。

だから、ゆきあつが花火に積極的になったのは、めんまの成仏にこそ正義があると信じたわけでなく、めんまを「じんたんのめんま」から「みんなのめんま」に取り戻したいからだと言える。

そのへん、あなると似ている。あなるだって、初めはめんまのことを信じていなかったのにじんたんに協力していたのは、じんたんと一緒にいられるからに過ぎなかったわけで、今一緒にいるのも、嫌な言い方をすれば、めんまにさっさといなくなって欲しいから、という側面が確実に存在します。

もちろん、そういう気持ちがめんまを死なせるきっかけになったという負い目もあり、そういうふうに思ってしまう自分が大嫌いだったりもして、それが今のあなるの苦しみ。

ぶっちゃけて言うと、あなるとしては今すぐめんまが消えてしまっても構わない。今回の「めんま、怒ってなかった」という言葉の安堵感からも分かるように、あなるのめんまに対する感情って、ほとんどが自責です。

だから、めんまが満足して消えてくれるのであれば、きっとそれは歓迎すべきこと。あなるがめんまに対してやり残していることは「謝る」くらいかな。

ただ、その自責の念と、じんたんに関する確実な嫉妬が混ざっていて、今のめんまと直接に関われない要因になっているらしい。ちゃんと謝って自分の気持ちをはっきりさせないといけないということは、あなる自身もなんとなく分かっているとは思うのですが。

つるこはなると似ている。つるこも、めんま騒動の間ずっとゆきあつのことばかり見ているから。ゆきあつが気持ちの整理を付けるまでずっと寄り添っていようと、めんまが死んでからずっと側にいたのだろうけど、その意味で、これが最後の難所。ここさえ乗り越えれば、という気持ちで、ゆきあつと行動を共にしている。

その意味で、めんまに関して一番ドライ。ただ、人ひとりが死んでしまうということの重みを、実は一番よく分かっているんじゃないかとも思う。それによって大きく変わってしまった人を間近で見続けて、その人を過去から現在に引きずり出そうと頑張り続けた人だから。

だから「めんまの死」というものに関して、その重みをふたり分感じてきたと言える。つるこにとってめんまはそれだけ大きな存在で、ただ、近しい存在ではない。

あなるは負い目があって直接関われないと書いたけど、つることしては、めんまの存在は大きすぎて遠い。そういうところは、めんまが蒸しパンを作ったときに、何らかの対応ができたぽっぽ、ゆきあつと違い、お互いに怖がって抱き合うふたりの反応によく表れていた。

じんたんは、本当にめんまにいなくなって欲しくない。じんたんはゆきあつとネガポジの関係だと思うけど、そろそろ「めんまの死」が見えてきたという段階になっても、ずっと同じ。

じんたんとゆきあつで同じものを挙げるなら、めんまは成仏するべきと考えている、でもめんまを見ていたいと思っている、めんまのいた夏が忘れられない、などなど。ただ一点だけ違うのが、この夏めんまを直接見たかどうか。

ゆきあつは「じんたんのめんま」を奪おうとしているのだけど、それは、あくまで思い出の中での話。ゆきあつは思い出の中のめんまとの決別を図っている。そのために花火を作っているし、そのためにあなるに声をかけている。

対するじんたんは、思い出の上に重ねられたこの夏の感覚(感触)があって、それだけリアルな存在としてめんまを認識している。

だから、ここで書いている意味での「めんまの死」は、ゆきあつにとっては過去との決別だけど、じんたんにとっては、まさしく死として捉えられる。

じんたんにとって「めんまの死」は、追想ではなくて、もう一度同じことを経験するという意味になる。

だから、ゆきあつと同じで、過去は乗り越えるべき、死者は成仏されるべきと考えていても、最後のところで抱きしめてしまう。めんまを離したくないと思ってしまう。(こういう言い方は少しおかしいかもしれないけど)そういう気持ちはすごく自然で、よく分かる。

それから、ここへきてゆきあつに話を戻すと、ゆきあつはじんたんのネガポジなんだから、ゆきあつだって、いざめんまが消えてしまうとなると、きっと消えて欲しくないと願うと思う。じんたんを通してでもいいから、一緒にいたいと感じるはず。彼の欲望はどこまでも自制されているのだけど、それが決壊するとすれば、めんまが消えるとき。

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