アニメの目

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2011夏期
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異国迷路のクロワーゼ 第7話 「天窓」 :正論のゆくえ

いま、このへんです。ちょっとずつ追い付きつつあるような気もします。目標は9月中にこのクールのアニメは見てしまうこと。

さて、異文化交流を通じて幼女愛好は万国共通であるという認識を深めるアニメ、もとい、異文化の中で頑張る幼女を愛でるアニメ、もとい、なんか湯音も頑張ってるし俺も頑張るかーとちょっとだけ力をもらえるアニメ『異国迷路のクロワーゼ』について。第7話がすごくよかったので、ここいらでひとつ。

基本的に「いい人」しか登場しないこのアニメでは、いくつもの正論が飛び出します。ここで正論というのは絶対に正しいということではなく、「間違ってはいない主張」のことを指します。

例えばクロードは非常に正論吐き。「燭台はパンに代えた」という少年に対して湯音は自分が朝食べられなかったパンを差し出します。これについてクロードの言葉は「お前にやるパンはあってもあいつにやるパンはない」であり、また、「子供は理解力のない野獣」だと断じます。

これはパリだから、日本だからという文化的な問題ではなく(日本にも浮浪者、浮浪児は存在しただろうし、パリと同様情けをかけることが一般に「よくない」結果を招いていたであろうことに違いはない)、湯音にとってもなじみのある「正論」です。

だから湯音は、相手が「クロードさま」だからという以前に、これに対して首を縦に振らなければならないわけです。つまり、湯音だって自分の行いが「正論」に反することを知りながら、それを行っていた。

なぜなら、湯音にだって「正論」があったから。フランス・パリで幸運にもクロードやアリス嬢に受け入れられてはいるものの、湯音はいまでも「異国迷路」で時折不安を感じる少女であり続けるから、他の全員が「正論」を口にしようとも、自分だけはあの少年の気持ちを理解してあげなければならないのだということ、でした。

すなわち、味方になれるとしたら自分しかいない、味方がいないのは寂しい、味方になろうというシンプルな三段論法にして、これが湯音が持つもうひとつの「正論」です。

で、こういう正論がわりと応酬するのが『異国迷路のクロワーゼ』の面白いところ。前述した通り、基本的に誰も悪くないからです。その根本にあるのは日本/パリという文明の違いだけでなく、ギャルリ/ブルジョワジー、またはギャルリ/浮浪児という身分の違いだったり。今回の場合だと、ゲスト/ホストという立場の違いでした。

さて、で、この7話のどこが素晴らしいかというと、そういった「正論」の差がほんの一瞬だけ埋まり、全員が幸せを感じられたのが素晴らしい。

それぞれの立場で「正論」が異なるのは仕方ないでしょう。湯音がなにを諭しても、浮浪児はものを盗んでお金に換えずには生きていけないし、いかに湯音が寂しかろうがクロードの言っていることは確実に正しい。これは曲げられないですから。

ただ、ブランシュ家はクロードの願いを聞き入れて医者を手配し、また、クロードはおかゆの作り方を教わって湯音に作ってあげる(この瞬間だけブルジョワジー/ギャルリの壁、日本/パリの壁は取り払われる)。浮浪児の少年は盗みを働かずに湯音に雑草の花を届ける(ここではギャルリ/浮浪児の壁が取り払われる)。クロードは湯音にビズをし、俺たちは「身内じゃないか」と告げる(ここでゲスト/ホストの壁が取り払われる)

先に述べた通り、浮浪児の少年はこれから生きていくために盗みを働かなければならないだろうし、ブルジョワジーは変わらずその権利を保持し続けるわけですが、それでも湯音が倒れた一瞬だけはそれらの壁が全て取り払われ、つまり、全ての「正論」が影をひそめる。全員が「正しそうなこと」を共有する。

この、対立がしゅんと一瞬だけ消えるさまが素敵で、すごくよかった。

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