アニメの目

  • -- - -- --
カテゴリ:
スポンサー広告
コメント:
-
トラックバック:
-

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ:
2009春期
コメント:
0
トラックバック:
0

涼宮ハルヒの憂鬱 第8話 「笹の葉ラプソディ」

やっぱりハルヒはうまいなっていうのが率直な感想です。

時系列順に混合放送をするのなら「笹の葉ラプソディ」が最初の新作になるのは必然だったわけだけど、これほど新作一号に相応しい要素を兼ね備えている話もないんじゃない?

いや、原作知らないから大きな顔はできないんですけど。

いくつかのブログを見させてもらって、純粋に新作を喜ぶ人もいれば、角川・京アニの戦略を検証する人もいて、あぁやっぱり『ハルヒ』は特別なんだと感じました。かく言う自分も、アニメと言えど侮るなかれっていう風に考えるようになったきっかけは『ハルヒ』だったわけですし。

さて、感想。およそ3年ぶりの新作ってことでまずは作画とかから書いていこうかな。

やっぱり画が変わってしまうのは仕方のないこと。女性キャラの作画は話題になってるけど、実際大きく変わったのはキョンだと思う。あと、強烈に感じたのは光の使い方が全然違うってとこかな。クラナドっぽいって感じた人は多かったと思うんですけど、これは単純に光の書き方(主に光沢)のせいかと。

みくるの前髪のボリュームが少し減っていたのも気になるところですが、髪の光沢と目の印象からたしかにクラナドを感じました。

たった3年でもアニメの画も確実に変わっているんだなと実感。一番大きな要素は色数かな。

さて、ストーリー。新作一号に相応しいと言った理由を懇々と語りましょう。

まず第一に、涼宮ハルヒという人物にクロースアップした話だったということ。ハルヒあっての『ハルヒ』なのだから、ここは外せないでしょう。

世界を退屈なものだと思っていて、望めば世界を再構築する能力を持っている。それなのに実行しないギリギリの状態がハルヒの魅力であり、『ハルヒ』の魅力でもあるわけですが、それを表現することができていました。

七夕は願い事をする日。当然ハルヒはとんでもない願い事を短冊に書いていましたが、それを本気で望めば地球の自転は逆回転しているはずなのです。織姫彦星にお願いはする。でも本気で信じているわけじゃない。でも信じていないわけでもない。そういう、右にも左にも倒れられない感じが出てたのが非常にハルヒらしいなぁ、と考えました。

後は脇をガッツリ固める未来人、宇宙人、超能力者の御三方の個性が出ていたのも良かった。今回は主にみくる絡みの話で、特に小泉に関しては出番がなかったんだけど、まぁあいつはそこにいるだけでオーラを出すから良しとしよう。

3年前に飛んで、帰れなくなって、長門に頼んで3年間部屋丸ごと凍結してもらって帰ってきた。3年をリアルな3年(3年ぶりの放送)に掛けたのもなかなか憎い小技なわけだけど、本質はそんな所じゃないですよね。

ハルヒが「16年後と23年後に叶えて欲しい願い事をしなさい!」って言っていたこともあるし、今回のテーマは間違いなく「時間」です。タイムパラドクスのあたりの話はまだちょっと良く分からないなぁ。噂によると「消失」あたりに関わってくる伏線のようですが。

時間を飛んで過去に行く。3年前のハルヒに出会い、織姫彦星へのメッセージを校庭に書き残す。そのときにキョンと話したことでハルヒは宇宙人etcにさらに深い興味を示すようになり、北高に対しても興味を覚える。

はじめの「あたしに会ったことある?」に繋がる話でもあったわけで、あぁ3年の時を越える複線かと、ここでまたうまさに感心したりもしました。

※書き終わってから読み返して気付いたんですが、以降しばらくタイムトラベルやタイムパラドクスについてグダグダと書き綴って自分の頭の中を整理するだけの文章が続いています。えー、読みたくなかったら是非本題に復帰するまで飛ばしてやってください。ええ、是非ともそうしてください。

タイムトラベルを認めるのならば、時間軸が絶対のものであると捉えてはいけない。
時間は直線的に一定の速度で流れ続け、人はその流れに乗って生活をしている。仮にそう考えるとして、流しそうめん的なものをイメージすると、タイムトラベルはそうめんをつまんでまた上から流し直すようなもの。「今」という場所から「キョン」と「みくる」の2本だけをつまんで「3年前」という場所で再び流し始める。すると、「ハルヒ」「長門」「小泉」の3本は先に進み、「キョン」「みくる」の2本は少し後ろから同じ速度で流れ始める。再び出会うこともなければ、「3年前」の場所で「3年前」の場所を通っていた「ハルヒ」に出会うこともない。

だからタイムトラベルの大前提として直線的で定常的で絶対的な時間軸の存在を認めていないわけです。ここまでは『ハルヒ』に限った話ではありません。

さて、次は『ハルヒ』的な話。

みくるたち未来人がどうやってタイムトラベルをしているのか、その辺は禁則事項ってことなんですけど、長門がやってのけた「タイムトラベル」は体感時間に限った「タイムトラベル」なんですよね? 実際に3年の時間が流れている所を、長門の情報凍結とやらでキョンたちに時間変化を与えなければ、それは一瞬で3年の時を飛んだのと同じだという理屈。でも、長門はその間も隣の部屋で3年間の時間を1秒1秒過ごしていたわけだし、タイムトラベルしていないキョンとみくるもどこかで何かをして普通に過ごしていたはず。

そしたら時間を主観的なものとして捉えてみようかってことになりますよね。キョンの時間はこう流れているけど、長門の時間は違うように流れている。キョンは生まれてから16年目に「生まれてから16年目のハルヒ」に出会う。それから3ヵ月ほどしてキョンは「生まれて13年目のハルヒ」に出会う。それから3年間寝て(体感時間は0)学校に行くと、「16年目のハルヒ」に出会う。とそんな感じ。

キョンの主観こそ絶対だとするなら時間はそういう風に進んでいるわけですが、逆にハルヒの主観こそ絶対だと考えると全く別に見えてくる。例えばキョン以外の人間の時間軸なんてのは認めないとすれば小難しい議論も、タイムパラドクスも一挙に解決できてしまうわけなんですけどね。つまりキョン以外の人物には連続的な時間の流れを認めないという考え方。キョンを中心に、無数のキャストがお芝居をしているイメージ。今は3年前なんだよ~って芝居。

ただそれをするのならば、その絶対的な主観はハルヒの主観であるべきだろうって気もしてきますが。

まだまだ書き足りない。(x, y, z)空間に時間要素tを加えて(x, y, z, t)で「場所」を示すと考えて…… みたいな議論も書きかけたのですが、さすがにベクトルが違うわと思ったので廃棄。

脱線しましたが本題に戻りましょう。

そんなこんなで七夕を引き合いに出して『ハルヒ』の世界の魅力を存分に引き出した「笹の葉ラプソディ」。

ただ、どうしてこの話を1期に入れなかったんだ? って疑問が残ります。話の質としては1期の短編に引けを取っているとは思えないんですけどね。歓喜補正かな。いや、割と客観的に観てるつもりなんですけど。

とすると、2期を考慮して1期からあえて「笹の葉」を除いていたってこと? そうだとしたら京アニさすがにすごすぎるでしょ。1期で消費した話と残ってるストックとを照らし合わせてみると、「笹の葉」が新作一号になったのは必然だってこの感想の頭でも書いたけど、本当に2期考慮だとしたら必然と言うより計画って感じ。もはや神と呼ぶレベル。

タイムパラドクスへの疑問を残したまま、来週からしばらくは1期の放送に戻るようです。とりあえずコンピ研部長宅ででっかい虫と戦う話。

そう言えば長門よ、手描きで随分とうまい明朝体を書けるもんだな。と最後にくだらないツッコミ。

コメント


コメントを管理人にだけ表示させる

トラックバック

このエントリにトラックバック
お知らせ
最新のエントリ
カテゴリ

アニ☆ブロ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。