アニメの目

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2012冬期
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未来日記: 我妻由乃のその後

久しぶりにアニメそのものに関するエントリを書きます。とは言っても極めて思い付きのことなんですけど、以前書いたヤンデレの確立はならない:我妻由乃に関する覚え書きというものの、その後について(元記事は読んでいただかなくても結構です)。

元記事の概要

結構長いので、軽くまとめると、

  • ヤンデレの我妻由乃がかわいい
    • なにか理由があるに違いない
  • そもそもヤンデレってなんなの?
    • ツンデレは《理解可能》であることが重要らしい
      • 「べっべつにあんたのためにやったんじゃないんだからねっ!」
      • ギャルゲー的な悦楽=プレイヤーがヒロインを「内に取り込める」という構造
        • 理解するという動作の主体が主人公ではなくプレイヤーである
        • ツンの主体=ヒロインと、受容の主体=プレイヤーの間に主人公キャラというマージンが存在しないことが重要なのでは
    • ヤンデレも《理解可能》であることが重要らしい
      • 「このヤンだ行動は全て自分=主人公を愛しているからなんだな」と思える
    • しかしヤンデレは同時に《理解不可能》な側面も持ち合わせている
      • ヤンデレはゾンビ映画のようなもの?
        • ゾンビ映画では「なぜか」降って湧いたゾンビがわれわれを襲うという《理解不可能》な恐怖が描かれるという点でヤンデレに通じる
        • ゾンビ映画の利点は、主人公に感情移入できようができなかろうが視聴者に恐怖を与えられるという点
        • つまり、ゾンビ映画もまたマージンをスキップして視聴者に働きかけられる構造
    • ヤンデレは、ツンデレ的な《理解可能》と、ゾンビ映画的な《理解不可能》でもってプレイヤー、視聴者に直接働きかける
      • しかしツンデレほど市民権を得たわけではない
        • ゾンビ映画がB級であり続けることと同じ理由
        • つまり、《理解不可能》=無条件に恐怖を与える仕組みは、なにせ「分からない」のだから、視聴者に恐怖しかもたらさない
  • 我妻由乃の場合は
    • 夫の葬儀の参列者に一目惚れした未亡人が、数日後自分の息子を殺害した。それはなぜか?
      • 犯罪心理のテストとして巷で有名な問いかけ
      • 凶悪犯罪者の回答は「息子の葬儀で一目惚れの男性とまた会えるから」
      • こういう思考の《短絡》は、新鮮な驚きと共にむかえられる
    • 我妻由乃は、この《短絡》(「ユッキーのため」にすごいことを平気でやってのける)が視聴者に対して有効に働いているらしい

という感じ。まあ、その後にそれでもヤンデレの未来は閉ざされているのか、というような話になるんだけど、それは今回関係ないので割愛。割愛して、軽くまとめたはずなのにあんまりまとまっている気がしないけど。

本題

で、それを踏まえて最近の我妻由乃です。最新話まで見ています。

雪輝から由乃への歩み寄りが強くなったせいか、逆に視聴者からは由乃がよく見えなくなっているという現象が表れています。つまり、雪輝が由乃をちゃんと理解してしまったせいで、由乃の《理解可能》も《理解不可能》も、それを受け止めるのが主人公であり、視聴者ではなくなってしまっているということ。

ツンデレに関しても言えることなんだけど、ツンデレと、それをツンデレと理解しているキャラの絡みは、実はギャルゲー的な悦楽は生み出さず、それはまさしくイチャイチャしているのを見てるだけ、ということになる 化物語のガハラアララギカップルなんて、どう見てもイチャイチャしてるようにしか見えない。

まあ、これはこれでニヤニヤものなんだけど、だから同じようなツンデレキャラでも、それを受け止める側の人間次第でギャルゲー的悦楽のツンデレと、イチャイチャカップルのツンデレに二分されると言えるんじゃないでしょうか ちなみに、こなかがなど百合のカップリングは間違いなく後者に分類されます。 。余談ですが。

話を戻します。今や由乃を理解してしまった雪輝に代わり、視聴者の目をしてくれるのが秋瀬或になっています。秋瀬は最も由乃を疑っているキャラですが、例えば由乃が両親を殺していたこと、本物の由乃を殺していたこと、しかし金庫を開けられたことから本物の由乃なのかもしれないという可能性が浮上したこと、を視聴者に伝えてくれています。

要するに由乃の《理解不可能》が秋瀬による説明で視聴者に届けられているんだけど、これは全くもってゾンビ映画的な恐怖感でない。これはサスペンス映画。

この変化の一番大きな要因は(由乃自身にあるのでなく)、前述したように雪輝の心理的な変化によるところが大きいように感じます。つまり、予知能力者のサバイバルバトルに対して受動的/能動的であるという差です。

神の座をめぐる能力者の後半戦は、より知能戦の色を強くしているんだけど、これに関して、雪輝は積極的に状況を分析しようとしている(情報がものを言う戦いだから、雪輝はまず見極め、作戦を練る)。だから雪輝は多くを《理解》していて、いろんな現象に対して《説明可能》であるわけです。

殺し合いの情報戦、心理戦が微妙な人間関係の元に展開されて、『未来日記』はサスペンスになる。そうなると、我妻由乃もまたサスペンスを形作る歯車として物語に組み込まれる。

ものすごく自然に流れていったので見落とすところだったけど、物語の醍醐味も、ヒロインのキャラクターも、変化している。

我妻由乃はもはやヤンデレでないのか

それなら当然こういう疑問が浮かんでくる。

ヤンデレというのが、基本的には《理解可能》であり、しかし急に《理解不可能》な行動を起こすキャラクターだと考えると、もはや由乃はヤンデレでないことになる。

雪輝がパートナーとして認め、秋瀬が要注意人物として扱う由乃は、依然として《理解可能》と《理解不可能》を併せ持つキャラクターなんだけど、《理解不可能》っていうのが、腹の底でなにを企んでいるか分からない=心理サスペンス的な恐怖を演出しているということです。

で、僕としてはぶっちゃけヤンデレ認定なんてどっちでもいいわけなんだけど、それでも興味がある点としては、最後の最後に我妻由乃はどういう《短絡》を僕ら視聴者に与えてくれるのかという点。

言い換えると、我妻由乃の価値観に興味がある こういうのを恋っていう。 ということになるんだけど、この点に関してはヤンデレ(異常者)というキャラクターが未だに強烈に働いていると言えるのかな。


【余録】普通にアニメの話をすると、両親の喪失という経験が雪輝とみねねが分かり合うきっかけになったんだけど、由乃はその両親を殺している(?)という状況で、こういう最も根本的な価値観(人間性)において雪輝と由乃は交わっていない。こういう断絶が、これからどう働くのかが楽しみ。

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