アニメの目

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2012冬期
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あの夏で待ってる: 視聴者の目はどこにある - その1

さて、前クールのオリジナルアニメ『あの夏で待ってる』について、あーでもないこーでもないと言う時間がやって参りました。というのも、毎話楽しかったようで、なんか見るの辛かったようで、全体を通して考えても、果たしてこれは面白かったのかどうかがイマイチ判然としていないのです。

書き出しのこのあまりの自信のなさに、ブログ訪問者の方々は当然不安になっているのでしょうが、実はこの前フリも内容と強くリンクしているのでご期待下さい。(いや、そんなに期待しないで下さい)

絶えない批判

人間関係のドラマが初めから見え透いていて面白くない、人間関係の変化が乏しい、主人公カップルに魅力がない、おねティ?、などなど、放送中から放送終了まで絶えず批判に晒された本作です。僕の感想としても「景色きれいだなー」「柑菜ちゃんかわいい」「美桜ぱねえ」くらいの感じで、なんとなくぼんやりした印象であったことは事実です。

が、作品もぼんやりした印象なら、それに対する批判もまたぼんやりした印象です。もやもやの正体を突き止めてやろうと思って、普段はあまりしないネガティブな記事を探すということをしてみたんだけど、どれも印象論(e.g. 派手さがない、主人公に魅力がない)か、物語構成の単純なエラーを指摘する(e.g. 物語の起伏のなさ=チープさ)かのどちらかで、僕にとってはクリティカルな批判ではありませんでした 実は印象論ってすごく大事で、ソフトのセールスとかの話をすると致命的なんだろうけど、あくまで目的が「印象の原因」にあるので役に立たない、という意味です。

で、演出であるとか、キャラクターの細かい描写であるとかを細かく分析できて、評価しているブログさんも拝見したんですけど、そういうののほうがむしろ心に響く。このアニメをちゃんと見られている人は、こんなふうに感じられるのか、と思いました。

で、あんまり間延びするのもよくないので、早い段階で問題提起をしておこうかと思うんだけど、『あの夏で待ってる』には安定したカメラがなくて、キャラクターの誰かの目を拝借してアニメ世界に入り込もうとしていると辛い。逆に、自分のカメラを構えて、自分の目で直接アニメ世界を観察できた人には面白いアニメになっていたのでは? ということ。

オープニング

さて、オープニングなんですが、かなり好きです。長井流の白さ淡さと、I'veの新シンガーRayの声が心地よい、綺麗な景色と美少女いっぱいの素晴らしい映像です。ですが、一度だけすごい違和感を感じたことがあります。違和感を感じて何度も見直すうちに、食後だったこともあるんだろうけど、かなり吐きそうなほど気分が悪くなってしまった、と言えばなかなか常軌を逸した違和感だったことをご理解いただけるかと思います。

で、その正体は、海人が8mmを構えてからの、一連の手持ちカメラ風の映像にありました。初め、海人がカメラを構えて撮影を始めているのに、その後の手持ち8mm風の映像の中にしっかり海人が出てくるではないですか。それじゃあ、そういうのは誰が撮っているのかと考えると、

これは柑菜の表情から海人カメラであるらしいことが分かる引き算をして柑菜か美桜。哲朗の反応から、美桜っぽい? でも柑菜かも?

いい眺めである。こういうのを好んで撮るのは海人かな?引き算をして海人カメラ

檸檬先輩が撮ってるのかな? 哲朗が撮ってると思うと心が痛いこの確信犯的なものは檸檬先輩が撮ったに違いない

イチカが興味でカメラを回したか、海人が撮ったか

こんな感じでてんでばらばら。本編でカメラを握っていないような人(柑菜、美桜)でさえカメラマンをしている(2枚目)という様子。ただの主観カメラじゃない、と言われればその通りなんだけど、それにしては誰の目なのか判然としない映像があまりに多い。

で、実はもっと気持ち悪いのが、背景との視差(パララックス)が存在しないこと。

観測点が異なるとある対象点に対する角度も異なってくるわけだけど、この対象点への角度の差が視差。ざっくり言うと、視点を動かしたときに、近くのものほど大きく動き、遠くのものほど動かない、ということ。

これがあると奥行きがあるように見えるっていう、必須のテクニック。最近はWebデザインでダイナミックに奥行きを表現したいときに使われたりもしています。

で、主観カメラ的に使われているのに、手持ちで揺れるカメラはこのパララックスを捉えない。例えば5枚目なんかはカメラ-海人柑菜とカメラ-背景の距離はそうとう異なっているはずなのに、そういうのがない。まるで固定カメラで撮影した映像を手持ちのカメラで撮影したみたいなことになっている。

主観カメラって視聴者を世界に没入させるためにあるはずなのに、それなのに、余分なマージンを感じてしまって、なんだかちぐはぐ。ちぐはぐと言えば、カメラマンと被写体の間にインタラクションがあったりなかったりで、その辺にも一貫性がなかったりする。

まあ、要するに言いたいことは、誰かの目を借りてアニメ世界を見ているはずなのに、

  1. まず誰の目か分からない
  2. どうも誰かの目を直接お借りしているというわけではない

という妙な心地。これが、基本的には美しい景色と美少女たちの素晴らしい映像であるはずの夏待ちOPが、あるとき急に吐き気をいざなった原因だろうと考えています。

つづく

本当は1本で書ききってしまうつもりだったんだけど、たぶんこれでちょうど半分くらいです。あんまり長くなるのもアレだし、続きは近日中に書きます。明日、ないしは明後日、つまり48時間以内に書きます。宣言しました!

さて、最後にお断りしておきたいのが、この記事が『あの夏で待ってる』の批判を意図して書かれたものでなく、また、批判として成立していないということです。

OPのほんの細かい点で揚げ足をとっただけで、それがアニメ全体に対する批判としては働かないでしょう。それに、この記事は「その2」への導入として、イメージしやすいOPの違和感を使っただけで、実はそれほど意味があるわけでもなかったりします。


遅くなりましたが、その2、書きました。(4月15日)

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