アニメの目

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2012冬期
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あの夏で待ってる: 視聴者の目はどこにある - その2

この記事の続き。48時間以内にその2を書く、と明言しておきながら約一週間も経ってしまったことに関しては、弁解したいですが、その余地は全くありません。達成できる約束を、と何度も言っているのに、申し訳ないです。

で、これは気を取り直してその2です。

さて、『あの夏で待ってる』に関して、前回の記事では、OPの海人がカメラを構えてからの一連のシーンについて、1. まず誰の目か分からない2. どうも誰かの目を直接お借りしているというわけではないという指摘をしたわけです。が、別にOPのここがヘンだよみたいなことがしたかったわけではなく、視聴者がアニメ世界に入っていくための目をどうやって確保するかについて考える足がかりにしたかったわけです。

要するに誰が《語り部》=目になってくれるんだ、という話。

序盤の海人イチカのラブコメ

で、物語序盤(~3話)の海人イチカのラブコメに関して、ここでは視聴者の目の代役を引き受けてくれるキャラが物語中に登場しません。ここのあたりでは、視聴者だけがイチカが宇宙人であると知っていて、イチカの目的(海人を見守ること)も知っています。

イチカを中心としてドタバタと荒れる人間模様を、視聴者は外から楽しんで《眺める》ということ。

哲朗、柑菜、美桜の恋模様

例えば哲朗の場合、柑菜の海人に対する恋心に関して、彼はそれを見守ってやることに決めていました。つまり、柑菜の恋に関しては、哲朗が当事者であるにもかかわらず、《語り部》であり、《眺める》存在だということ。

回数をカウントしたわけではないんだけど、たぶん海人をチラチラ見てしまう柑菜より、そんな柑菜の背中ばかり見つめている哲朗のほうが多く描かれていた(少なくとも印象的ではあった)と思います。

で、そんな哲朗の恋はというと、これは美桜が《語り部》であり、《眺める》存在です。海人を見つめる柑菜を見つめる哲朗を見つめる美桜です。

海人→イチカの恋心に関しては、それに気付いている人はいても、その事情(イチカが宇宙人であること)を知っているキャラクターが存在しない=視聴者と同じ位置に立つキャラクターが存在しない。だから視聴者は、孤独にただ《眺める》しかない。

対して柑菜→海人、哲朗→柑菜に関しては、それぞれ哲朗、美桜がその世界の中にありながら《眺める》者として存在している。これが視聴者と柑菜、視聴者と哲朗を近付けてくれる。要するに、恋愛の物語に関して半当事者であるキャラクターが、視聴者を物語に引き込んでくれる。

中盤以降の檸檬先輩視線

で、夏休みに入って映画撮影を始めたくらいから状況が変わってくる。海人とイチカの親密度が増すにつれ、柑菜が苦しみ、そんな柑菜を見て哲朗がむらむらして、そんな哲朗を見て美桜が行動に出る。

で、美桜が告白し、哲朗をけしかけ、哲朗が玉砕し、美桜が哲朗を背中から抱きしめる。哲朗に告白された柑菜は、清々しい顔で海人の家まで駆けていき、告白して、玉砕する。

感情移入バリバリのカタルシス増々になってきて物語として盛り上がる部分ではあるんだけど、こう言うことが起こると、人間関係の変化を外側から《眺める》人間が物語から欠如する。キャラクター全員が完全な当事者であり、視聴者は感情をシンクロさせる受付窓口的なキャラクターを失ってしまう、ということになる。

で、今まで意図的に話から除外していたんだけど、《語り部》っていうのなら檸檬先輩がいるじゃないか、とも思います。檸檬先輩は確かに仕掛け人であり、観察者でもあったわけなんだけど、だからそれが視聴者にとって都合のいい感情の同期対象かというと、全然そんなことはない。

なにせ、檸檬先輩に関しては謎な部分が多すぎるんです。どちらかと言うと謎キャラ、マスコット的な要素が強くて、物語に対しては感情的に遠い距離にある。ようやく檸檬先輩の感情に触れられたのって、最後の決死のバトルくらいなものです。だから、檸檬先輩の目を借りてアニメ世界に入っても、いまいち近付けない。

そもそも、檸檬先輩は物語が始まってから参加して(物語は海人がイチカを撮った段階ですでに始まっていた)、その終了を待たずに去ってしまっているので、これを《語り部》に、というのは難しい。

そして追い打ち

だから結局、気付いたらなんとなくアニメ世界から阻害されているような寂しさを感じながら見ているような事態になっていました。で、前回の記事でも書いたことなんですが、キャラクターの誰かの目を拝借して世界に入り込もうとしていると難しくて、自分なりの視点というのを確立して見られればいい、というような感じだったんじゃないかな、と思います。

僕の場合はそうはいかず、感情移入の度合いでいうと美桜>哲朗>柑菜>>檸檬=海人=イチカという感じになってしまったんですが。

それでも、さっき上で書いたように、最後の逃避行で檸檬先輩や海人やイチカに触れられて、イチカを宇宙に見送って、うんぬんうんぬん、と、エンディングをむかえるわけなんだけど、最後の最後に追い打ちがある。

製作した映画を上映するという、あれです。イチカがお姉ちゃんのお土産を着て笑顔で振り返るシーンを見て、数年後、彼らが幸せになったことを知らされるんだけど、それが『あの夏で待ってる』というアニメの中の『あの夏で待ってる』という自主製作映画の中で語られるという違和感。

さらには、映画について「宇宙船とかメカとか、特撮バリバリで」なんていう不吉な言葉もありました。自主製作映画で宇宙船? メカ? 海人と哲朗が遊んでたあれのこと? でも、特撮バリバリって……?

そうなったとき、ふと頭をよぎったのが、僕ら視聴者が見ていたのが全て自主製作映画=虚構だったんじゃないか、という不安でした。つまり、イチカの宇宙船とかが、全部特撮っていうこと。

さっきの、アニメの中の自主製作映画という層の構造と関連付けたいのが、OPで「視差がない!」とか細かいところにケチを付けたときに書いた、「すでにある映像(定点撮影)を、もう一度撮影した(手持ちカメラ風)ような映像」というイメージです。

つまり、僕が見ていたのは、ひょっとしたらそういう虚構を現実っぽくアレンジしたもので、視聴者には層の一つを見せないように巧妙に隠されていたのではないか、という疑惑です。

まとめ

視聴者がアニメ世界に入るためには、あるキャラクターの目を借りるのが簡単で、なおかつ効果的。ただ、それだけでは醍醐味を取り逃してしまうアニメもあって、自分なりの視点というのは大事です。

『あの夏で待ってる』に関しては、僕と同期してくれるキャラクターが不在になる局面があって、その辺では「遠いなあ」と感じていました。ただ、最後に書いた「ずっと(アニメ世界における)虚構を(アニメ世界における)現実と思って見ていたのでは」という妄想は、視聴中にずっと感じていた違和感、不自然さ(例えばイチカが宇宙人ってことに、みんな全然気付かない)の助けを借りて、かなり深い根を張っています。

結局どうだったのかは知らないし、実はそんなに知りたいわけでもない。ただ、僕は『あの夏で待ってる』に関して視点の置き所に困り続け、果てはアニメ世界から見事なトリックプレーでシャットアウトされてしまったという妄想にまで至る始末です。

で、また答えのでないクズみたいな記事を書いてしまったなあ、と思いはしますが、後悔はしていません そんなものを読ませてしまったことは申し訳ないです。 。以前からいろいろ考えてきた視聴者の視点、その代理人となるキャラクターみたいなことを、いったんまとめる上で役に立ったからです。

こういうメタな視点はこれからもしばらく持っていると思うので、今後、この記事を参照しながらなにかを書くことになるかもしれません。

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まとめtyaiました【あの夏で待ってる: 視聴者の目はどこにある - その2】 from まとめwoネタ速neo 2012-05-13

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